色んな想いがこもった

こちらのコンサート照れ




無事に終演いたしましたおねがい

とにかく50年も続く素晴らしい合唱団で

力強さと優しさを兼ね備え

そして、世代を超えた仲の良さが音楽として伝わり、リハを聴きながら大号泣チュー


私が今回伴奏をさせてただいた経緯は

昨年天国にいってしまった

ピアノデュオの相方、黒田裕美ちゃんが

こちらの合唱団のピアニストをさせてただいていました。


第三部が裕美ちゃんとの思い出の曲で

縁が深かった私に声をかけて下さいました。


まだまだ直面するのが怖くて

普段もあまり裕美ちゃんのことを話せません。

でも、裕美ちゃんがこちらの舞台に最後立ちたかったのは知っていたので、受けさせて頂きましたおねがい


リハでは涙で譜面が見えなかったので

(合唱団の皆様も泣いてるし…)

本番、ちゃんと弾けるかな…と最後までわかりませんでしたが、なんとか!!大丈夫でしたおねがい


裕美ちゃんのご両親も

2人のデュオの師匠である磯部省吾先生も駆けつけて下さいました花


プログラムノートも裕美ちゃんの写真で溢れていました花

愛溢れる文章がまた…ううう。


演奏会の日、裕美ちゃんのご自宅にも伺って…

ピアノの部屋は、2人で練習していた楽譜がたくさん。

辛すぎて逃げ帰るように部屋を出てしまいました。


最後の最後までピアノのことを考えている人でした。そして、最後の最後まで諦めなかった人でした。


一緒に舞台に出て、何も感じさせない演奏には

毎度びっくりでしたが、病気がわかってからの舞台裏は壮絶でした。

本番前日の夜中に、体調が急変し

緊急にかかったことがあります。

コロナ禍だったので、私はロビーで待たされましたが、夜中に謎にこだまする裕美ちゃんの笑い声びっくりどんな時でも、高笑いだったなー。


広島と千葉の遠距離コンビ。

リハでの移動も相当辛かったと思います。

重いキャリーケースをもって…。


だいたいコンサートのあとは、翌日動けなくなってました。

東京でのコンサートが多かったので、すぐ病院にかかれず大変だったと思いますえーん

それでも、演奏することを優先して、最後はCDまで作って…。

本当に凄い人です。


私がジストニアの症状がひどくなった時には

私のパートもたくさん内緒で取ってくれたり…

合わせは最初から本当に何もすることなくて

こんなに楽な人いるの?って感じでした。

磯部先生には、よく

『合わせるなー』って言われていたのを思い出します。

テンポは共有するけど、お互いもっともっと自由に歌って音楽作って。って。

でも、それができる相手って、特にピアノ同士ではなかなか難しいんです。

奇跡の相手に出会えて遠距離ながら15年も続けてこられたことに感謝でいっぱいですおねがい


まだまだ直面できるのには時間はかかりますが

これからも、裕美ちゃんの想いを受け継いで

音楽を愛したいとおもいます照れ


ありがとう愛