凄まじい衝撃やった。
近くが爆発したんかってくらいの力で、揺れた。

その時いちばん近くに居た恩人は、俺を庇って家具の下敷きになった。

その人の近親者からは「あんたなんかを助けたせいで」と恨まれた。

避難所でもどうしたらええのかわからんかった。

このままここで死ぬんやなと思うてたのに、蓮が迎えに来てくれた。辛く苦しく痛い思い出が詰まってる場所。二度と関西には住まないと心に決めた。

やけど不思議なもんで今俺は関西に居る。

数年前は震災の想いが色濃く溢れて輝くイベント、ルミナリエにも行った。

死者6434人。

当然、それぞれ人生があって、地震がなければ普通に「明日」を迎えられるはずやった。

数多くの別れを経験してきたけど、感謝も愛も伝えきらんままの別れは一番キツい。
俺は元々、愛を求めて拒まれるんが嫌で嫌で、独りで平気やという感じで生きてた。

けど、何かあってから後悔しても遅いねんな。

大事な人に大事やと伝え続ける事の必要さを感じたわ。

物凄い重い想いやと思うねんけど、それをひとつも弾かず跳ね除けず、掬ってくれたにゃーにゃには感謝してもしきれない。

「その人が那津を守りたいと思った、その気持ちを継がせて欲しい。私が那津を守るから。」

と言うてくれたその時の感情は到底言葉で言い表す事が出来ひん。今思うと、彼とにゃーにゃは似とるなと思う。俺が何言うても柔らかい雰囲気で微笑んで聞いてくれた。

毎年この日は、ちゃんと生きていられてるか自分を見つめ直す日やなと感じる。

今まで俺に関わってくれた全ての人に
ありがとう。
これからもよろしく。

2020年1月17日