3月末で、親し かった先輩が会社を辞めた。旦那さんの転勤について行くことにしたそうだ。
このことを、「寂しいなぁ」と姉に話したら、「離れたって友だちじゃなくなるわけじゃないわよ」と言われ、強い違和感を感じた。
…たぶん、私にとって、職場の人たちは、「友だち」ではないのだ。
なまじの友だちより強い絆があったとしても、やはりそれは、単に心のつながりで結ばれている友だちとは異質だ。仕事という、共通の関心事、人生のテーマでつながっている相手なのだ。
仕事がなければ、話すことなどほとんどない。世代も、家族構成も、趣味も、価値観だって大きく違う。
たとえば転職するのだ、というのであればまだ違うだろう。違う職場、職種、業界の話を興味深く聞いて、いろいろな議論をすることを想定できる。でも、仕事の話ができないのであれば、話し合うことが思いつかない。
私たちはいつも、次に何を作りたいか、どんな仕事にしたいか、今やっている仕事の問題点は何か、共通の職場の人間関係の愚痴、仕事がらみの冗談や妄想、そんな話ばかりで毎日大笑いしている。
それは楽しくて楽しくて、大切な時間だし、大事な相手だけれど、どんなにお互いの状況が変わっても、それでも気がかりで、つながっていると思える「友だち」とは、やっぱりどこか、違うのだなと思った。
このことを、「寂しいなぁ」と姉に話したら、「離れたって友だちじゃなくなるわけじゃないわよ」と言われ、強い違和感を感じた。
…たぶん、私にとって、職場の人たちは、「友だち」ではないのだ。
なまじの友だちより強い絆があったとしても、やはりそれは、単に心のつながりで結ばれている友だちとは異質だ。仕事という、共通の関心事、人生のテーマでつながっている相手なのだ。
仕事がなければ、話すことなどほとんどない。世代も、家族構成も、趣味も、価値観だって大きく違う。
たとえば転職するのだ、というのであればまだ違うだろう。違う職場、職種、業界の話を興味深く聞いて、いろいろな議論をすることを想定できる。でも、仕事の話ができないのであれば、話し合うことが思いつかない。
私たちはいつも、次に何を作りたいか、どんな仕事にしたいか、今やっている仕事の問題点は何か、共通の職場の人間関係の愚痴、仕事がらみの冗談や妄想、そんな話ばかりで毎日大笑いしている。
それは楽しくて楽しくて、大切な時間だし、大事な相手だけれど、どんなにお互いの状況が変わっても、それでも気がかりで、つながっていると思える「友だち」とは、やっぱりどこか、違うのだなと思った。