選択の良し悪しについて、絶対的な評価などできないそうだ。

なぜなら、同じ条件で別の道を選んだ結果を見ることなどできないから。

そうだとするならば、自分の選んだ道を「正しかった」と信じる方が勝ち、ということになる。


そうだ、私のやってきた道は正しかったのだ。

基本的な思いやりや、人を敬う気持ちのない相手と、一生を共にすることにならなくて良かった。


私の母ががんでもう助からない状況になったとき、泣きながら苦しさを話す私に対し、「俺、同じ状況になったことないからわかんない」と私の話を遮って、相槌すら打たずなるべく聞かないようにした人。

私が風邪を引いて39度の熱を出したとき、隣の部屋でテレビに熱中して一度も様子を見に来ず、水が飲みたいけれど立ち上がれなかったために電話でそれをお願いした私に対し、「いいご身分だな」と言い放った人。

私が流産したときに脂汗をかきながら痛がって、「水をもってきて」とお願いしたら、水を渡してくれながら、「じゃあ俺寝るね」といって、唸り続ける私の横で朝までぐっすり眠った人。

流産した直後、体調の悪さと心細さから飲み会に行かないで欲しいとお願いしたのに結局飲みに行って、終電を逃して3時まで遊んできた人。


いつでも私をバカにした態度を取って、傷つくからやめてほしいと言っても絶対にやめなかった人。

私が友だちの話をすると、必ずその友だちを見下す発言をした人。

私の家族を見下した発言をし続けた人。一度など、裁判員制度の話をしていて、「1人、気違いみたいな人がいると悲惨だよね。あなたのお母さんみたいな人がいたらって考えてみろよ」と言ったことがあった。しかも、そのときすでに私の母は亡くなっていたから、故人に対して言ったせりふなのだ。尋常な神経をしているのか疑ってしまうことがあった人。


…こうして書き出してみると、本当に、離婚して良かったんだなあと思えてくる。

うん、たとえこの先一生1人で過ごすことになったとしても。あの人と一生を共にするよりは、幸せになれるという気持ちになってきた。