母の闘病中、私は本当に頑張ったと思う。
母のがんは、とても稀な種類のものだった。
症例があまりなく、効果がある治療法も確立されていない。

手術したのは、地元の総合病院だったが、もちろんその病院では初の症例だった。

私は、このがんについて調べまくった。よりよい治療を求め(母が可能な限り治療を続けたいと求めたため)、国立がんセンター、癌研でセカンドオピニオンを求めた。その上、医師にお願いして検査結果一式をお借りして、地元の県立がんセンター、慶應大学病院に話を聞きに行った。

その結果、受け入れてくれる病院が見つかり、化学療法で治療を続けた。
選んだ病院は、たまたま私の勤務先に近く、母の入院中、私は定時にいったん退社して母のお見舞いに行き、面会時間終了とともに会社に戻って残業、という生活を毎日続けた。

主治医と何度も面談した。
化学療法の効果が見られなくなった後は、治験の対象としてもらった。
それも効果がなく、もう手立てがないと言われてからは、郊外にある、アメリカで実績のある治療を自由診療でやってもらえるという病院を1人でたずねた。「効果の保証はできないし、お母様の体力を考えると、やらない方が寿命が長くなるかもしれませんよ」と言われたけれど、母に話すと「可能性があるなら賭けたい」と言った。私は入院先の主治医にお願いし、本当は絶対に認められないことだし、それで何かあっても適切な対処がしてあげられないかもしれないですよ、と念を押されながらも、タクシーで母を連れ出して、治療してもらいに行った。
うぬぼれかもしれないが、主治医は、私の母の病気についての知識や熱心さに打たれ、許してくれたのだと思っている。

治療の甲斐なく母は亡くなってしまったし、ここまでやっても後悔することばかりなのだが、私は頑張っていた、とやはり思う。

今、がん治療は患者しだいだ。治療法はピンからキリまであり、知識がなければ海外では何年も前に「効果なし」と判定された治療をされてしまう可能性もある。

自己責任の時代なんだなあと改めて思う。