パラリンピック、始まりましたね!
我が家は観戦チケットに応募し、いくつかの競技で当選しました
が、新型コロナの状況を見て、早々に権利を放棄しました
現在、感染拡大している状況の中で開催されていることに対して、それなりに思うところはありますが、選手のことは心から応援していますし、テレビでの観戦を楽しんでいます。
昨夜、いっしょに観戦していた夫が、「パラリンピックは選手間の有利/不利の差が気になって、心から楽しめない」と感想を言っていました。
パラリンピックの出場選手は、障碍の種類や程度によって、ある程度グループ分けはされているものの、当然ながら、まったく同じ条件の選手だけが集まることはありえません。例えば、競泳では、両手がない選手と両足がない選手が同じ種目で競っていたりしています。
夫の問題意識は、同じ「障碍者」という括りではあっても、実際には格差があるのではないか、ということでした。
だけど、そうした格差は、目に見えにくいだけでオリンピックにも存在しているんですよね。
練習設備が整っている国と、そうではない国。
体格に恵まれている人種と、そうではない人種。
スポンサーがついている選手と、そうではない選手。
その他にも、さまざまなレベルで格差はあるのだろうと思います。
そして、私たちの日常生活にも、目に見えにくい格差は存在しています。
一見すると同じような条件で生きているように見えても、実はさまざまな格差がある。
恵まれた状況にある人は、格差に気づかず、「自分は努力したから成功した」と思ってしまう。
恵まれない状況にある人は、その格差を口に出さずに努力することが美徳とされている。
コロナ禍で、きっとその差はより一層拡大しているのだと思います。
たしか、何年か前の上野千鶴子さんの東大入学式祝辞も、同じような趣旨のことをお話されていたな。いろいろ思いが巡るパラリンピックです