オリンピックが始まりました。
普段、食事中のテレビは禁止、21時以降のテレビは禁止、としている我が家ですが、「オリンピック期間中は特別ね」ということで、ちょこちょこ観戦しています。
昨日観戦したのは、山田美諭選手(テコンドー)、高藤直寿選手(柔道)、女子400メートルリレー(水泳)など(録画やニュース番組中の映像を含む)。
誰に教わったわけでもないのに、子どもたちは日本びいきです。
開会式の入場行進では、「早く日本でてこないかな~」と楽しみにしていたし、試合をみると、「日本はどれ?」「日本頑張れ!」と応援します。
面倒くさい母(私)は、
「日本を応援してもいいんだけどさ、他の国の人を応援してもいいんだよ」
「日本人は自分の国で戦っているけど、遠くの国から日本に来て戦うのって大変だから、そっちを応援するのもありだよね」
と横から口を出しています。
自国を応援することを否定するわけではないのですが、私と夫は割とフラットに(どちらを応援するわけでもなく)観ているので、なぜこうなるのか、不思議だな~と思いながら眺めています。
オリンピック、個人な経験や価値観と重ね合わせつつ、思うところがいろいろあります。
「偉い人たち」がしていることに違和感や反感を覚えつつ、やり過ごしてしまったこと。
いろいろなことに忖度して、結果として「わきまえた女性」になってしまっていること。
「多様性と調和」ということばの本質を理解せず、輪郭だけなぞっていること。
オリンピックをめぐる問題(あるいはコロナ感染対策をめぐる問題)に対する批判の中には、私自身も自省しなくてはいけないと思うものが多くありました。
今回のオリンピックをめぐって巻き起こったさまざまな議論が、旧来の価値観を見直すきっかけになればいいなと思います。
願わくば、「あのオリンピックがきっかけで、日本にも価値観の多様性が生まれたよね」とそんなふうに思い返せますように。