腕立て伏せの姿勢を取ったままの私たちに、花岡班長も同じく両手を地面について声をかける。

 

「いいかー!腕立て伏せの姿勢は地面を見てやるんじゃないぞ!顔を上げて前を見ろ!腰を真っ直ぐに保って、自分の掛け声に合わせて実施しろー!…返事は!?」

 

「ハイ!」

 

皆が(いよいよ来たか)と言うような表情で返事をする。

 

「イチ!ニ!サン!…ほら、ちゃんと肘曲げろ!まだ始まったばっかだぞ!」

 

「太田!松田!前を向け!中川!肘曲げろ!椎名、腰曲げるな!」

 

 

 

自衛隊への入隊が決まって数か月、何もしないでいるのも怖かったので、毎日実家近くの大きな公園で1時間ほどジョギングと軽い筋トレをしてはいたものの、私は腕立て伏せが大の苦手で、つい自分に甘く適当にこなしてしまっていたことを激しく後悔した。これはキツイ。

 

きちんとした姿勢での腕立て伏せは、10回もしないうちから腕が曲がらなくなってしまった。

 

 

 

「……ニジュウ!ニジュウイチ!……ほら!お前ら!ちゃんと腕立て伏せの姿勢に戻れよ!高橋!鈴木!腰から下が地面についてるぞ!」

 

花岡班長が檄を飛ばす。必死に顔を上げると、正面にいる中田士長が真っ赤な顔をして腕を突っ張っているのが目に入った。

 

私も頑張らなきゃ…でももう腕に力が入らない…。

 

周りの皆も、ウー、とかヒー、とか声にならない声を上げて奮闘している。

 

 

腕立てというよりむしろ、地面に崩れ落ち、お腹をつけて上がる運動にしか見えない動きになっている。

 

 

「もう少しだぞ!ニジュウシチ、ニジュウハチ、ニジュウク…」

 

(やっと終われる)と皆の脳裏を安堵がよぎったその刹那、花岡班長の目ががまたしても笑ったような気がした。

 

「ニジュウク!ニジュウク!おーい!ちゃんとできてないやつがいるとカウントが増えないぞー!」

 

そう来るのね!いやもう無理!これ以上無理!!と心で叫びつつ何とか身体を押し上げる。

 

 

「サンジュウ!最後まで気を抜くな!腕立て伏せの姿勢に戻れよ!……よし、みんな中田士長のやることをよく見とけ!『その場に立て!』」

 

「イチ、ニ!」

 

腕立て伏せの姿勢を取る際の動きと逆の手順で中田士長が立ち上がる。

 

「よしみんな、『その場に立て!』」

 

「イチ、ニ!」

 

皆、立ち上がってやれやれと手についた芝を払おうとする。

 

「ホラ!誰がそんなことしろって言った!?今取るべき姿勢は『気をつけ』だぞ!」

 

花岡班長が私たちの動きにかぶせるように声をかける。慌てて気をつけの姿勢に戻る。

 

 

「よし、『休め』。手を払え」

 

そう言われてようやく手とお腹、膝にかけてしこたま付いた芝をはたく。

 

花岡班長はいつもの穏やかな表情にに戻っている。

 

「キツかっただろ? 自衛隊は“連帯責任”って言葉をよく使う。今みたいに自分のミスで仲間に迷惑をかけることも、この教育の間にはたくさん出てくるから、皆で助け合って乗り越えて行ってくれ」

 

そう言って、パン!と大きく手を叩いて続ける。

 

「さぁ、今日の訓練はこれまで。一旦部屋に戻って身体の整備をして、終礼の時間になったら集合な。時間は後ほど中田士長から達する」

 

「最後は解散時の掛け声だな。上官が『別れ』と言って敬礼するから、お前たちは『別れます!』と答えて同じく敬礼をする。上官が手を下げるまでお前たちは敬礼をしたままだからな」

 

『別れます』なんて大声で言うシチュエーションって何…?と吹き出してしまいそうになったが堪える。

 

絶対笑ってる!と思ってチラリと見たりーやんは、やはりニヤニヤしていた。

 

 

「では、『気をつけ!』 『別れ!』」

 

「別れます!」

 

 

花岡班長が去って、皆がその場にへたり込む。

 

「ひゃーしんどかった!いきなりこんなのキツすぎる!」

 

ゆうかが座ったまま大きな声を上げる。

 

 

「みんなゴメンネ。私間違っちゃって」

 

たけちゃんが申し訳なさそうに言う。

 

 

「いいじゃんいいじゃん、全然楽勝だよ!何みんなへばってんの!?」

 

るんこは“ようやく面白いことが始まった”といった表情で肩を回している。

 

 

「でもココ芝生の上で良かったよね。土の上だったら今頃ジャージが土まみれの真っ茶色だよ」

 

おおちゃんが静かに言う。確かに、のたうち回ったジャージのお腹には芝がたくさんくっついていた。

 

 

「芝生の上なら座って休憩できるし、わざわざ連れてきてくれて優しいなぁって思ってたけど、班長は私たちに腕立て伏せをさせる気満々でここに連れてきたんだろうね…」

 

「まんまとハマっちゃったね…」

 

 

と皆でつぶやきあいながら、しばらくの間、その場でジャージに刺さった芝を俯き加減でちまちまと抜き続ける2区隊2班の面々なのでありました。