ブログを始めて丸10年が経った

 

 

 

知らないひとが苦手で、

 

だから不特定多数のひとたちに自分を発信するという

 

ブログ、というものを始めるのに

 

2年かかった

 

 

 

でも、何かに向かって

 

自分を表現したいというこの矛盾

 

 

 

始めたころは、

 

自分自身に呟くようなブログだった

 

写真もなく、ただことばを綴った

 

 

 

当時、書いていたこと

 

ご興味があったら、読んでみてください

 

 

 

 

「透き通った湖のような。」

 

私には「抜きん出た才能」などありません。
けど、どんな女性でも日々のなか、何か信じるものをコツコツと続け、積み重ねて行った先、


心も肉体も練れて、その行為が全く自分のものとなり、自分の中から自然に出てくるようになったとき、


その女性は、
「透き通った湖」のような佇まいになっています。


普通の人、普通の場所で、そういう佇まいのものがあります。
余分なものが削ぎ落とされ、実に清々しい空気に包まれていると、感じることがあるのです。


美しい、と思います。
そういう人に、なりたいです。

 

 

 

「母性というもの」

 

ここ数年の自分を、つらつらと思い直してみることがある。
一体、なにを目指していたのだろうと、考えを巡らせてみる。

そしてふと、思いあたることがあった。

子供のころ、満たされなかった思いを、この年齢になって一生懸命満たそうと、がんばっていたのでは…?と。

父の包容力。
母の優しさ。

私は未だに、それを理想化して、そういう人間関係を身近に築こうと、必死だったのかもしれない。

以前、「理想化も依存の一種」と読んだことがある。
その時はイマイチピンと来なかったが、今ならよく分かる。
周りに理想を探し求めていた私は、充分に依存的であった。

父母の温かさ、安らぎの中で甘えたくて仕方のない、子供そのものであった。

女は、愛して欲しい相手に対して、母性を発揮する生きものらしい。
母性が発揮されている間、脳の中ではオキシトシンが分泌されまくり、対象に対する愛着システムが作動する。
これは子供に対する母親と、安定期に入った恋人では、脳の働きが同じなのだそうだ。

もしかしたら恋愛も、この愛着システムが作動することによって、独占欲から思いやり、世話を焼きたい思いが生まれ、

長続きするのかもしれない。

そして、母性が働かなくなった相手からは、心が急速に離れてゆく…

これを知り、だから人間は近くにいることが大切なのだと思うようになった。
遠くにいる相手と連絡なしで、この愛着システムを作動させるのはきっと、至難の技。
頭の中で何度も何度も、その人を思い返さない限り。

自然に近づける距離。
生活の中で繰り返し、相手のために何かをするということ。
そのチャンスを得た2人が、それぞれに唯一無二の存在になり得る。

大切だと思った人から、大切に思われなかったら、それはとても悲しいこと。
そしてそういう本物の関係になれる相手は、おそらく一生に多くはいない。

怒りがわいても、絶望させられても、それでも一緒に生きていくんだと、心の底から思える相手は…

ここから私は本当のHomeを、コツコツとつくりあげてゆこうと思う。

続けるという、その単純で難しいシステムによって。

そしてその動機は…
あたりまえだが愛である。



 

 

 

10年間のOL生活を経て、

 

その後、夫の海外赴任に伴いイタリアに移住

 

帰国後は専業主婦として子育てをしながら

 

あらゆるボランティア活動を経験した

 

 

 

専業主婦になってみると、

 

定年を迎えたサラリーマンみたいな気分だ、と思った

 

そして、それまでは美しく重要だと信じ込んでいた

(学校でもそれとなく教えられてきた)

 

母と子どもという存在は、

 

なぜか現実社会ではそうでもなく、

 

生産的でない弱者扱いだということも感じた

 

 

 

そのような自分の立場を自覚するにつけ、

 

自分の機嫌は自分で取ろうと決心した

 

その考えは、とても正しいと思えたから

 

堂々とそれを実行してきた

 

 

 

結果的に、そのやり方は

 

わたしに自由をもたらした

 

家族やお金、美や名声など

 

そういうものに自分の幸せを委ねた途端、

 

わたしたちはそれに囚われた奴隷と化す

 

そういうものに捕まらないよう

 

いつも自分を見つめ、機嫌を取るようにしてきた

 

 

 

 

自分のことを

 

ほんとうに分かってあげられるのは

 

自分しかいないのだから

 

それが最高でしょう

 

いま、実感をもってそう思う

 

 

 

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その河に道など求めぬただ水のままにゆくのだわれたゆたゆと

 

 

 

これは、15年ほど前に

 

三岸節子のベネチア運河の絵にインスパイアされて

 

詠んだ歌

 

 

 

これが運よく入選して、

 

新聞でよくお名前を拝見していた有名な歌人の方々に

 

畏れ多くもお会いすることができた

 

三岸節子と好太郎の孫にあたる太郎氏も

 

その場にいらっしゃった

 

 

 

気楽に浮かんだことばだからこそ、

 

素直な自分が出たのではないかと思っている

 

 

 

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子どものころから

 

ぼーっと何かを考えていることが多かった

 

 

 

朝起きると、30分はそのままの姿勢で固まっている、と

 

父からよく揶揄われた

 

その性質はいまも変わらず、

 

考える前に行動するひとがなんとなく羨ましい

 

 

 

洗い物をしているときなど、

 

おでこの裏側に

 

文章がつらつらとテロップのように現れる

 

それを眺めているから、ぼーっとしてしまうのだ

 

 

 

それが、何かのアイデアだったときは、

 

内側ではひとり熱くなり、興奮しているのだが、

 

側からは同じくぼーっとして見えるのらしい

 

 

 

もし、そういう子どもを見かけたら、

 

「早く動きなさい!」と、決して叱らないであげて欲しい

 

(わたしはしょっちゅう母から叱られていた)

 

 

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そんなわたしが、学生時代はよく

 

全校生徒の前で演説をしたり

 

合唱の指揮者をやったり

 

ラジオで作文を読んだりしていた

 

自分がやりたくて、というのはひとつもなく、

 

ただ流されて、引き受けていた

 

 

 

なので先生には、

 

「あまり喜ばない生徒」と評されていた

 

 

 

わたし自身は依然として

 

そんな目立つことより

 

気の合う友人と気楽にしていたり、

 

ひとりで絵や文章を書くことが好きだった

 

けれど、責任が伴うことにはなぜか

 

真面目になってしまうのだ

 

 

 

専業主婦になってもしばらく

 

真面目にやっていたが、

 

下の子が生まれて限界が来た

 

夫は頼りにならないと早々に見切りをつけ、上記の考えに至った

 

そこから自分の機嫌は自分で取ると決めて、

 

少しずつ自由になった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんなに長くなると思いませんでしたあせる

 

文字数の制限がオーバーしそうなので

 

続きはすぐまた次回に

 

読んでくださりありがとうございます音符