今朝はとっても冷えました

ゴミ出しに出て

寒ー――い!と思って見たらマイナス12度

 

お正月からひいていた風邪の方は

だいぶ良くなりました

 

昨日までは魔女みたいな声だったけど

今日は少し鼻声なくらい

 

自然治癒力の低下にがっかりです

 

 

この体調不良‥

 

ハナが言うには

 

大晦日にじぃじと電話で話してから

ママのメンタルと免疫は目に見えて低下した

 

んだそうです

 

 

 

こちら↓に書きましたが‥

 

父が検査をすることになり

お正月の帰省は諦めた昨年末

 

実家宛てに送った品物が届いて

 

父がお礼の電話をくれたのは

大晦日のお昼過ぎのことでした

 

 

私は年内最後の出勤を終え

横にハナを乗せて車を運転していました

 

買い物予定のお店に着くまでは

ハナが父と話して

お店の駐車場で電話を替わりました

 

 

来年は治療の一年になると思う

 

という父が続けて

 

 

大丈夫 

頑張るから

 

気丈に言う声に

不覚にも涙で話せなくなってしまい
 

検査する前に何かがわかったのかと

ハナが驚いてこちらを見ていました

 

 

何もわかる前から涙が出るのは

父が過去に2度越えてきた

あの治療を思うから

あの時の母や姉や妹たちを思うから

 

またか‥という思いが

どうしても沸きあがります

 

 

悪性リンパ腫の再々発がわかったのは

昨年のこと

腰の辺りに経験から腫瘍とわかる

しこりが出来ました

 

恐らくすぐに入院になるだろう

コロナ禍で面会は出来ない

 

治療の過程でもしもの事があったら

もう父には会えなくなる

そんな想いで

急ぎ3年ぶりに帰省しました

 

ハナやリトルの予定も合わせると

日帰りしかなくて弾丸の旅でした

 

 

 

その後のことを

ここに書いていませんでしたが

 

結果父は入院しませんでした

 

診断を受けた時

父自身は治療に臨む気持ちでしたが

 

前回の治療から12年経って歳を取り

現在は77歳

同じ癌でも前回より進行は遅いだろう

というのが主治医の見立てでした

 

ならば辛い抗がん剤治療を行って

体力も奪われるよりは

 

QOL重視の変わらぬ生活をして

定期的な検査で進行具合を

見極めてはどうかと提案があり

 

父はその治療方針に従うことにして

この1年半余りを

癌を抱えたまま生活してきました

 

 

当初もその後も症状は何もなく

本当に癌なんだろうかと思うほど

 

元気で食欲もあり睡眠も問題なし

変わらず活動的でもありました

 

 

 

PET検査は半年に一度で

12月の中旬に受診した今回

 

前からあった癌の影が

少し大きくなっていると診断されました

 

それで2か月後に再検査をして

やはり進行が見られるようなら

治療に入りましょうということになり

 

2月の再診を待つことに

 

 

なんだか嫌な感じだねと

両親と同居している姉の3人で

話していたようですが

 

私を含む他の姉妹には

結果が出てから話そうと思ったようで

まだ知らされていませんでした

 

 

ところが

PET検査から1週間ほどの12月26日に

主治医である血液外科のドクターから

 

悪性リンパ腫とは別に

PETで反応があった箇所があり

 

これを見た消化器外科のドクターが

内臓なので速やかに精密検査を

した方が良いのではと申しています

 

と連絡があったそうです

  

十二指腸か大腸か‥という位置だそうで

まずは十二指腸を診るために

口から胃カメラをして

 

日を空けて大腸検査をしましょうと

いうことになりました

 

 

姉いわく

お願いしますと言ったらば最後

矢の速さで検査日時が決まり

 

年明けの診察初日に胃カメラ

週明けに大腸検査

というスケジュールが組まれました

  

患者側としては

こんなにすぐに調べなくてはならない

状態ということ‥?

 

と不安になるばかり

 

 

しかし父自身は覚悟をしているようで

  

頑張るから

 

という発言となったわけです

 

 

12年前に悪性リンパ腫を患った時

治療に入る前に様々な検査を行う中で

大腸の検査も受けたそうです

 

その時は大腸の奥の方にポリープがあり

その場で数個取ったものの

 

カメラを抜きながら戻る時にも

更に数個のポリープが見つかり

 

一度にこれ以上は取れないと

残したのだと父は話してくれました

 

だから今回大腸に何かと言われれば

心当たりがあると言うのです

 

 

もし内臓がなんともなかったとしても

悪性リンパ腫の方はほぼ間違いなく

治療に入ることになるのでは

 

というのが父本人の見立て

 

経験はあっても素人なのて 

どうなるかは まだわかりませんが

 

 

 

そんな話を大晦日に父として

 

クリフマス前に倉庫で水に打たれても

寒い部屋で後処理をしても

なんとか体調を保っていたのに

 

大晦日の夜から急にガタガタと崩れて

私の体調は悪くなっていきました

 

 

父と電話で話した時に

ハナに涙を見せてはしまったけれど

 

父親を持たない我が子の前で

父の病を憂いてばかりはいられず

 

体調が悪い中家事をこなした結果

不調が長引いてしまったように思います

 

いえ もう子供たちはそれ程に

精神的に子供ではないけれど

 

私が父を思う姿を

子供たちはどんな風に見るのだろうと

そんな風にこれまでも思ってきたのです

 

 

上手く綴れなくて

よく伝わらないと思うけれど・・

 

子供たちを父親を持たない子にしたのは

私の決断によるものだから

 

私が自分の父親のことを心配したり

父に何かしてもらって喜んだり

そういうことをしてはいけないような 

 

離婚以来ずっとそんな風に思っています

 

私にとって父はとても大切な存在で

でも子供たちにはこういう存在が

居ないのだものな

 

そうしたのは私だものなという

罪悪感や贖罪の気持ちが

何年経っても拭えない

 

 

父は予定通り年が明けてすぐに

胃カメラ検査を受け

結果はその日のうちに姉が

知らせてくれました

 

十二指腸も胃も凄く綺麗で

問題なかったよ

 

 

まずは一安心の後 週が明け大腸検査

予想通りいくつかあったポリープを

生検に回したと

再び姉から連絡がありました

 

 生検結果は17日です

 

 

  

人は必ず年を取りいつかは死を迎える

 

それは頭でわかっているけれど

覚悟が出来ていない 出来そうもない

 

父が初めて癌を発症した

50代の頃とはもう違うものな‥

ということを思うと

 

治療することの是非も含めて

父に一番良い道を

考えなくてはならないのでしょうね

 

 

 

長々と暗い話でごめんなさい

 

 

がんばろう 明日も

 

 

 

 

ナツ