記録として。

 

 

 

***

 

 

それは春先のことだったと思う。

 

 

 

「もう名まえは読まないよ。」

 

 

 

というメッセージが来て、率直に言って途方に暮れた。

 

 

そういうメッセージが来るときは、大抵抵抗をしても無駄なことは分かっていたし

でも・・・じゃあなにをするの・・・・???

 

 

 

少しあがいてもみた。

 

 

依頼はありがたいことにコンスタントにいただいていて、それを受けていればまたなにか新しい道のようなものも見えてくるんじゃないか、そんな風に自分に言い聞かせて名まえを読み続けた。

 

 

 

・・・

けれどやはり、なにかが自分の中で消えてしまったことはわかった。

言うなれば、ちいさいけれど絶対に消えることのない蝋燭の炎のようなものが、

突然

何の前触れもなく

ある日消えてしまったかのようだった。

 

名まえを読み始めたころの、そして読み続けてきたその原動力のような

なにか

が、もうそこにはないことがわかった。

 

 

そして少し、暗いトンネルに入った。

 

 

 

私は、無意識のうちに「名まえ読み」を通して

 

生きている意味

「わたし」はいったいなにものなのか

人が生まれ

生きて死んでいくこととは

 

いったいなんなのか

 

幼い頃から消えたことのないその問いに

近づこうとしていたんだと気付いた。

 

 

 

だから、名まえを読むことはもう終わりだよ

というその お告げ は

 

少しつらかった。

 

 

それから少しの間

課題として渡されていた「祈り」や

自分なりに上から受け取った宇宙の話をノートにまとめたり

きまぐれに動画でシェアしたりした。

 

でもそれらは、私にとっては過去をなぞる復習のようなもので

決してフレッシュで心躍るものではなかった。

 

 

この先どちらに進むべきか分からなかった私は

メンターのような、霊的な世界のことや能力の向上のために師のような人を探すべきなのか・・・

と思い悩んでいた。

 

 

そこで頭に浮かんだ人がいた。

 

 

 

つづく・・・