★これは紛れもなくただの日記で、ほかの一切の目を気にせず自分の内側で行われたことを記録するもの。

ストーリーや起承転結があるものでもない。読むも読まないも、それはあなたの自由です。合わない、と思ったらページを閉じてくださいね★


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『born to be me. day1 ~いつだって誰かを強く想ったときにそれは現れる~』★これは紛れもなくただの日記で、ほかの一切の目を気にせず自分の内側で行われたことを記録するもの。ストーリーや起承転結があるものでもない。読むも読まないも、そ…リンクなつ

 

 

 

 

***

 

その人たちの名まえには、圧倒された。

 

誰一人として例外なく、圧倒的な輝きと希望に満ちていた。

 

なんでみんな、なかったことにして変装するみたいに生きているんだろう。

 

単純な疑問だった。

 

 

~~~~~~

 

この世界にいる人たちは、みんな「そう」なのかもしれない。

忘れてしまっただけなのかもしれない。

 

自分の美しさや強さ、生まれてきた意味を。

 

ただの一つの仮説だった。

 

~~~~~~

 

 

私の誕生日前後だったと思う。

 

弟夫婦が、私たち家族に見てほしい映画がある、と言った。

この映画の主人公の男の子が、なんとなくはる(長男)に似ているんだよね、と。

 

「リメンバーミー」というディズニーピクサーの映画だった。

 

ディズニー映画にあまり詳しくない私だけど、ディズニーと言えばすぐ話題になるのに一回も聞いたことのない映画だった。

 

弟が貸してくれたその映画を、家族みんなで見た。

 

確かにその主人公は、長男によく似ていた。姿かたちや表情もどことなく。もっとは、中身がよく似ていた。

 

私たちは、とてもいい映画だったね、とみんなであたたかい涙を流し、とても幸せな気持ちで眠りについた。

 

 

その夜、なにかが私の胸を突いた。

 

 

・・・・亡くなった人の名まえは・・・亡くなった人の名まえは読めるのだろうか・・・。

 

 

もう何年も前に亡くなった祖母のことで、少しだけ気になっていることがあった。

正確には、周りが、少し気にしていた。

私は正直に言うと、「大丈夫」だと思っていたけれど。

 

 

~~~~~~

 

そこから数日は、たまらなく気持ちが高揚していた。

 

もし、もしおばあちゃんと意思疎通ができたら・・・と思うと単純に嬉しかった。

 

昔から、亡くなった人とほんのたまにでいいから、数時間でいいから、一緒にお酒でも飲めたら楽しいのに、と思っていた。

その映画は、ちょうどそんな話だったのだ。

色々な想いがよぎった。

 

~~~~~~

 

 

そしてある夜、私は深く深呼吸をしてパソコンにおばあちゃんの名まえを打った。

 

・・・・・・

 

・・・・・・・・

 

 

結論から書くと、おばあちゃんの名まえは読めなかった。

 

いや、正確には読めなかったわけじゃない。

 

おばあちゃんの名まえが見せてくれたのは、「記憶」だった。

 

その名まえが見せてくれたのは、大切に大切に毎日着ていたお気に入りの洋服のような、それが洋服ダンスにかかっているような、でも、もう持ち主はここにはいない、というような、残像、残り香、記憶、とにかく

 

過ぎてしまったもの

もうここにはないもの

 

だった。

 

 

あたたかく、切なく、無邪気なものだったけれど、私はどうにも悲しくなってしまい、そこで読むのを中断した。

 

 

そこに、おばあちゃんはいなかった。(と、その時は感じた)

 

 

~~~~~~

 

依頼があった名まえたちを読んでいたある夜、不思議なことが起こった。

 

 

窓を開けて風を通しながら、カーテンは閉めていた。

 

 

一瞬、背筋がぞわっとした。

 

カーテンの向こうになにかがいる。

 

そう感じたとしか言いようがないけど、なにかがいた。

 

とても耐えられなくて(だってそうでしょう?私はおばけとか見えないけど、そこにいたら絶対に嫌だ。)そーっと、そのなにかに気づかれないように階下の眠っている家族のもとに行こうとした。必死だったからパソコンの電源を切っているひまもない。

 

そろりと階段に足を延ばしかけたその時、

 

 

それはあなたには必要ない

 

 

と聞こえた。(気がした)

 

 

なにがだろう、なにが必要ないのかわからないけど、こわかった。

 

空気は張りつめていて、もはやうまく動けなかった。

 

 

・・・・・

 

そうしてどれくらいたったか、そのなにかは去っていた。

 

気づくと、もうそこにはいなかった。

 

 

ほっと安堵してしばらくしてから、はっと気づいた。

 

 

それはあなたには必要ない

 

というのは、おばあちゃんのことだ。

 

亡くなった人と、交流することだ。

 

と。

 

 

なんだかたまらなくて、泣けた。

 

 

悲しい涙じゃない。

 

そうだ。

 

だって、私は大丈夫。

 

全部覚えているもん。

 

あのしわしわだけどすらっと伸びた手だとか、凛々しくて少し寂し気な横顔とか。

 

私たちをたまらなく愛してくれていたことを。

 

 

それ以上に、必要なことなんてあっただろうか。

 

死者と意思疎通ができたとして、私はどうするつもりだったんだろう。

 

 

 

***

image

弟夫婦がくれた花束。

嬉しかった、ありがとう。

 

 

 

 

つづく