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母親のこと。
私は小さい頃から無条件で大好きでした。
まぁお母さんが好きっていうのは当たり前と言えば当たり前ですが(そうじゃない人もいると思いますが)なぜあんなにも大好きだったのだろうと思うと、私の母が一貫して 母親 でいてくれたからだと思います。

私の母は、特に外の世界に出て社交の幅を広げたり、趣味などに自分の時間を割きたい人ではなく、

家が好き
家族がいれば、充分満たされる
例えば、仕事以外のことで子どもを預けて外出したりは絶対にしない人でした。
また、子供の前で母親以外の顔を見せたりもしませんでした。

だから私は お母さん 以外の母を知らなかったし、お母さん以外の顔を少しでも見るのはすごく嫌でした。

↑これがあったので、おそらく私は無意識下で お母さん ってこういうもの。そうじゃなきゃ子どもがかわいそう。

っていうマインドが働いていたんですね。

だから、寺子屋を始めるにあたって、自分のやりたいことのために小さな子どもを預けて外出したり(お寺をもっと開けた場所に、というコンセプトのものはもちろん前例がたくさんあると思ったし、「寺子屋」でググったら、それこそそのままヒットして、その会社の方に話を聞きにいったりもしました。)家族の休日を寺子屋の準備にあてたりしている私を見て、母がどう思っているのだろう、、、という想いや、子どもたちが寂しい想いをしているんじゃないか、、、という想いがぶわぁぁぁと出てきました。
後から分かったのは、これらの思考は全部自分の妄想劇場でした。笑

そして子どもたちが寝たある夜、夫と話していた時に、その無意識のブロックが外れたのです。

色々な思考が邪魔をして、なんとなく気持ちが晴れずにいた私は

私:なんか、これやる意味あるのかな。ていうかお母さん、よく思ってない気がする。

夫:なんでそう思うの?てか、やりたくてやってるんでしょ?

私:そうなんだけど、、、仕事以外でも子どもたちとの時間も削ってるし、寝不足でイライラして子どもに当たったりとかしてるし。それってよくないよね。

夫:うーん、まぁ子どもに当たるのはねぇ。でもなんでお母さんがよく思ってないの?

私:だって、子どもが小さい今、なんでやるの?とか思われてる気がするし。お母さんは私たちが子どもの時、なによりまず子どもを優先してくれた人だから。

夫:あー、まぁお母さんはそういう人だよね。

私:でも私は違うの!(←この辺から勝手に熱くなる)家庭の中にいて、子育てをして家族が幸せなら満たされるっていうのは、私は違う。はるのこともけんたのことも大切だし愛してるけど、自分が心の底から熱くなれることもしたい。

夫:うん

私:お母さんとは違うんだよ!お母さんはそれが幸せかもしれないけど、私は違う!

夫:うーん、まぁ当たり前だよね。違うのは。それがいけないことなの?

私:いけなくはないけど、、、

夫:ていうかさ、なつの話聞いてて思ったけど、俺なんてボクシングやりたいって親に無理言ってやって、でも怪我でダメになって、急にオーストラリア行ったり、かと思えば次は金にならないけど芝居やってて、まったく親に楽させてあげたりとかしてないし、おふくろが思う良い人生?歩んでるかどうかなんてわかんないけど、昔から今まで、どうだ、って思ってるけどね。どうだ、俺笑ってやりたいことやってるぞ、それだけでおふくろ幸せだろ?って思ってるけどね。




頭をガツンと殴られたような気持ちでした。

初めて、夫の言葉で涙がでました。(←えー!笑)

そこからは、嗚咽して泣きながらなんか言ってた気がします。


お母さんみたいなお母さんになれないことは、良くないことに勝手にしてたんです。

母親になるまでは、お母さんの生き方と私の生き方は違う、と自然に思えていたのに、母親になったとたん、お母さんを追いかけてた。

小さい頃からお母さんのことが大好きだったから。

だけど、自分はどう生きたい?


そこに、フォーカスできるようになりました。

すると、色んなことが変わりました。

正しくは、私の世界の見方が変わっただけかもしれません。


母は、底抜けに明るく、優しく、おっちょこちょいで、少し気が弱いけど妙に芯がある、素敵な女性です。

私は、母にもよく似ていると思います。


つづく。