Tamaのブログ

Tamaのブログ

ブログの説明を入力します。

Amebaでブログを始めよう!
震災から5年。
たくさんの方が亡くなり、たくさんの悲しみと後悔と悔しさが始まった日。

仙台在住のたまはその日、いつも通り介護施設で事務の仕事をしていた。
お昼ご飯を食べ終わり、ちょうど災害備品を置く倉庫の話をしていた時に地震があった。

最初は「あー。地震だねー。」程度だった。
徐々に揺れが大きくなっていった。ガタガタと激しかった印象は無い。
ゆっくりと...しかし、大きく揺れていた気がする。

一旦、揺れが落ち着いた時にデイサービスに走り、倒れそうになるテレビからお年寄りを離し、揺れが収まるまで座っているようにと声掛けをした。
「大丈夫、大丈夫」と立ち上がるお年寄りに優しく声をかける余裕もなく、「危ないから座って!」と無理に座らせた記憶がある。

揺れが収まった後、6階まである施設の全員を一旦建物の外に避難させた。その後津波の予報がラジオから流れるのを聞いた先輩が津波が6メートルだから、ここも危ないかもしれない。ということで、2階に避難する事になった。

お年寄りの避難にはどうしても時間がかかる。
日が傾き、暗くなる前に出来ること...
食事と寝床。お年寄りへの対応。
幸い、津波は来なかったが、電気も止まり、水も止まった。

周りがどういう状況なのかも良く分からない。

休日の職員が駆けつけてくれる。
そこで周りの状況を知ることになる。

暗くなり、お年寄りの夕食を済ませた後に上司から帰れる職員は一旦帰宅しても良いと言われた。

当時、自宅は多賀城。
高台にあったが、地震のあった時間は母がちょうど仕事から帰ってくる時間でもあり、自宅には猫がいる。

車では帰れないだろうということで、会社の自転車を借りた。

必死にペダルを漕いだ。周りはよく見えていない。
心のなかで猫達の名前を叫び続けていた。

通勤で通っていた産業道路は津波で多分使えない。45号線をひたすら走った。
進行方向から引き返してくる人が増えた。
どうなってるのか聞くと、水没して通れないと言う。すぐそばの交差点では止まっている車のクラクションが鳴り続いていた。

普段使っている道は使えない。自宅に帰れる道を必死に考える。

山側の道を...

進行方向を変え、移動を始めると、あるはずの道が無い。水に浸かってしまっている。

真っ暗で先が見えないので、周りの人にこの先はどうなっているのか尋ねるが、みんな分からないと言う。

しかし、帰るには進むしかない。
雪の降る3月。水は氷のように冷たい。
自転車を押しながら水の中を進む。
冷たいを通り越し、足がキンキンと冷え、痛くなってくる。

太ももまで水に浸かりながらひたすら歩く。
道中、何処まで行くの?とおばさんに話しかけられ、行き先が同じ方向だったので一緒に歩いた。

誰かと話しながら歩くことで気が紛れた。
人のあたたかさを感じた。

何とか自宅に着いたが、家の中も真っ暗でどうなってるのか分からない。

ポッケから出したライターの火を頼りに部屋の中を歩く。
母親を呼ぶがいない...猫もいない...
部屋の窓が開いている。猫が出てしまったかもしれないっっ。
窓の外は崖の様になっている。飛び出したとしたら無事ではない...
自宅に戻った安堵感と、何の気配もない部屋の中に不安と恐怖が襲う。

すると、母が入ってきた!
生きてた!無事だった!

母は仕事から帰宅し、家に居る時に地震があって、近所の人と駐車場で避難していたそうだ。

一緒にいた人がたまが帰ってきた姿を見て、教えてくれたそうだ。

その日は母一緒に同じベッドで眠りに着いた。