篠崎朗さんのこの記事を私は最初、

アメブロではなく篠崎さんのフェイスブックで拝見した。

篠崎さんは健康に関してたいへん参考になる投稿をされている。

 



私もある時、気付いた。
ああ、そうか。

もうみんな「知っているんだな」と。

ワクチンの有害性もマスクの無意味さも
このおかしな感染症騒動のわけも

知っていて、黙っている。

知っていてマスクの後ろに隠れている。

全て知っている。それなのに
知らないふりをして

この流れに従って、逆らわない。

誰かが「おかしい」と言ってそのために容赦ない攻撃を受けるのをただ、眺めている。

それが日本人の大多数なのだ。

 

 

これまで私は、ワクチン接種を止めようと様々な活動をしている多くの人々と触れ合って来た。彼・彼女たちが「みんなに知らせなきゃ!」という切羽詰まった思いを抱えて、長期間に渡り、自分の時間を費やし金銭的負担をも続けてきたことを知っている。

「とにかく、知ってもらわないと!」

 

チラシを配り、講演会や映画作品の上映会開催を企画するなどして多くの人に「この現実を伝えなければ!」と行動する純粋な無名市民たち。

 

ある者は学校などの公的機関に対して過剰な感染症対策を考え直すよう働きかけた。子供のマスクを外してあげたいと市議会を動かした人もいる。街頭に立ち、危険なワクチン接種を受けないでくださいと街を歩く人たちに訴えかけた人もいた。

「知らせなきゃ!」
 

少し前には「オセロプロジェクト」と言う動きが始まって、一部の医師、歯科医、看護師、企業経営者や市議会議員たちを中心に、少なくない人数の人々がそれに参加して「状況をオセロのように変えよう」として動いた。


しかし、懸命に活動する人々の思いとは裏腹に、事態は一向に変わらなかった。

変わらないはずだ。

 

何故なら

 

「 人々は 知っていて、自らの意思でその流れに 従っている 」のだから。

 


もし誰もがマスクを外して街を歩き、買い物をし、コロナって茶番だよね、と言うことが出来たならこのおかしな騒動は終わるはずだったのだが、日本人にはそれが出来なかった。

 

まあ、国内で起こった様々な動きに関しては多くの人がその背後に「政治のにおい」をかぎつけてしまい、拒絶反応を示してしまったために、全国的な巨大ムーブメントに発展することなく終わってしまったわけだ。そのことは言ってみれば当然の成り行きだった。「何か裏がある」と感じさせる動きに「ワクチンが危ない!」という主張そのものへの不信感が芽生えたということだろう。そうなると国民の意思統一、連帯など不可能である。

 

日本の情報鎖国状態は悪化し続けている。気付かない人たちに5回目、6回目、7回目・・のワクチンを打たせようとNHKの論調は変わることがない。様々な業界には「お触れ」が度々発出されて、配下の企業にきついお達しが下る。公的機関、特に教育現場は見るも無残な有様だ。

 

ほんとうは、どんな場所にも「わかっている人」「気が付いている人」「この状況がおかしいと思っている人」はいる。自分はワクチンを打っておらず、しかしそれを周囲の誰にも話さない公務員はいくらでもいる。

 

彼らは日々、淡々と、ワクチン接種に関する業務をこなす。そして内心、バカバカしいと思いつつ、市民の皆様に感染症対策を徹底するようお願いを続けている。

 

 

「本当にバカなんですよ、まだ気付かないんです。こんなワクチンを何度も打つ、救いようがありません。え?本当のこと?知らせてどうするんですか。間抜けな大衆のことは放っておいて、自分のサバイバルについて真剣に考えた方が良いですよ」

 

 

などと言ってしまう、彼らの鋼のようなメンタルはどのように培われたのか。

 

医師たちがどんなに声を上げても、誰かが科学的な説明をしても、データを示して警告を発しても「従うことが正義(その方が楽に生きられますよ主義)」の人々の態度は変わることがない。

 

マスクの常時着用やワクチン接種を子供たちに強制、推奨しないよう、学校に働きかけ積極的な活動をしていたひとりの母親がいる。その娘が卒業して学校を離れることになった時、担任だった教師が母親に告白したという。「実は私もワクチンを打っていないのです。お力になれなくてほんとうにごめんなさい」

 

 

ムキー ごめんなさい、じゃないよ。こら。

 

 

教師は良心の呵責に耐えかねて自分が楽になりたくて話したのだろうが、君がやることはそういうことじゃないだろう と、彼女はそう思ったらしい。

 

さて。

 

この地獄は続く。

 

日本はこれから
いったいどうなるのだろうか。

 

それを決めるのは誰だと言うのか。それは私たち、ひとりひとり。

 

そう、あなたです。

 

おかしい、と思うことをおかしいと言おう。

 

 

 

 

今この時を「デトックスの達人」「シェディング対策マスター」「備蓄マニア」「金融リセットに備えるグレート・リセット適応人間」として生きるだけでやるべきことを全てやっている気になっている人たちもいるけれども、一方で

 

自分が生きる世界でちゃんと「おかしい」と言う。

この国にはまだ、そんな人たちがいることに希望を感じます。