(11)の続き。



行きつけの産科に行き、主治医に事のあらましを全て話した。



・パニックがでてお腹の張りも強くなったので、急きょ精神科も産科もある総合病院に行ってみたこと。


・薬の投与はおろかぞんざいな対応をされてパニックもお腹のはりも一層ひどくなったこと。


・そしてついには精神病棟に閉じ込められそうになったこと…。




主治医はじっくりと話を聞いてくれつつ、まずはお腹の様子をみてくれた。幸いなことに赤ちゃんは元気で、すぐに産まれてくるような気配はないとのこと。

それを聞いてひと安心した。




しかし、主治医からは思いがけない事を伝えられた。



「申し訳ないけど、うちの病院は精神科がないから、なつめさんに何かあったときに精神科とタイアップして出産に臨むことができない。別の総合病院で出産してもらわざるをえない。紹介状を書くのでそこに転院です。」





私は耳を疑った。





この病院は不妊治療の時からずっとずっとお世話になってきた。

やっと妊娠が分かった時は先生と抱き合って泣いて喜んだものだ。




ここでしか産む事を考えていなかった私は、驚きを隠せなかった。

出産まであと1ヶ月。いまさら新しい病院、新しい先生との関係構築なんて無理。



私は涙を流して、どうしてもこの病院で産みたいこと、今後は近場の心療内科の薬を飲みつつ出産に臨むので、先生が心配しているようなことは起こらないということなどを必死で伝えた。




しかし、先生はこれまで多くの同じような妊婦さんを診てきたのだろう。


そしてこれまで何度か同じような妊婦を受け入れ、妊婦に大変な思いをさせた事もあるのだろう。



先生は申し訳なさそうに首を横に振るばかりだった。




わかっている。




この先生、妊婦思いの心のある先生だ。



だからこそ、私がこんな状態になるとは思っていなかっただろうし、断腸の思いで断っているのだ。




「1日考えさせてください。」




1日考えたとしても、先生の答えは変わらないと分かっていたが、私の心の整理に時間が必要だった。




病院を後にし、そのまま家に帰らずカフェへ。

ディカフェコーヒーを飲みながら何も考えず外を眺めていると、不思議なことに心が落ち着いてきた。




妊娠してからこれまで、ゆっくりする時間をとっていなかった。




考えていたのは常に仕事のことや赤ちゃん、旦那のこと、出産準備や子育て資金のことなどだ。



久しぶりに「空白」の時間ができ、楽に息ができる自分がいた。



精神病棟にいた昨日がまるで夢だったかのようだ。





それ以来、定期的にカフェでひとり時間を取るようになった。



2人目が産まれた今でもだ。



2人目セイをシッターさんに預け、その間カフェに行ったりする。




カフェの美味しいコーヒーや雰囲気、景色など気分転換になるものはたくさんあるが、1番良いのは「私のことを知らない他人が近くにいる」ことなのだ。



1人が好きではあるが、誰もいない場所(一人きりの自宅など)というのはパニック持ちの私にとっては不安要素が大きい。



そのことに気がつけたのは大きな発見だったし、私がパニック克服方法の一つとなった。




話を戻したいと思う。



翌日、産科の主治医に「転院します」旨を伝え、近くの総合病院への紹介状を書いてもらった。




その病院は精神科や心療内科、小児科にNICUもあり、妊娠出産での万一のトラブル全般に迅速に対応してもらえる環境であった。



ここの精神科(一般病棟)に入院してそのまま出産まで過ごすことになろうとは、この時は知る由もなかったが。。。



(13)へ続く。


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最近シナモンを買った。小さじ一杯毎日摂取でシミが2週間で消えるらしい。



コロナ禍でマスク生活してるせいか、昔よりシミが消えた気はする。

が、マナセイのツヤッツヤたまご肌を毎日見てると、自分の肌の衰えにめまいがしそうだ。


2週間で小さいシミは消えちゃう?

うっそだーーーん!!!



といいながらもポチってしまった。




また2週間、どうだったか報告をさせていただく。







⑩の続き。


その日、自宅に帰り着いたのは21時頃だった。



病院で処方された薬は3日分で、初めて見る薬だった。

しかし、背に腹はかえられぬ。

思い切って一錠飲んだ。



お腹に赤ちゃんがいるのに安定剤を飲んでしまった。



初めての妊娠、初めての赤ちゃん。

妊娠がわかって、インスタント食品は可能な限り避け、身体に良いものを選んで食べていたのは全てお腹の赤ちゃんのためだった。


それなのに、赤ちゃんにどんな影響があるかわからない安定剤を飲んでしまった。

パニック発作の苦しみから解放されるという安堵感の一方、赤ちゃんへの申し訳なさで涙が溢れた。



その後の事はあまり覚えていない。おそらく安定剤の中に眠気が来る成分も入っていたのだろう。



気がつくと朝になっていた。



旦那も疲れていたのだろう。隣で死んだように眠っている。

旦那は今日も仕事で、まもなく起きる時間だ。



出産予定日まであとひと月。



このまま無事に産めるのだろうか。そして育てられるのだろうか。




とりあえず、行きつけの産科に電話をし、昨日の事を簡単に伝えつつ、お腹に異常がないか診てもらう事にした。



この産科で産む予定にしており、和痛分娩で産む予定までしていた。



しかしこの後、主治医から伝えられたのはとてもショックなものだった。




12に続く。


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最近発見したのだが、



160サイズのPigeonの哺乳瓶。

手軽なサイズなだけに、このサイズで全部終わらせられないかなぁと思っていた。



240サイズだと大きいし重いしバッグがかさばるし。



しかし息子セイがどれだけ飲むか未知数だ。

場合によっては買わなければ足りないかもしれない。




離乳食をすでに進めているが、今は一度に200飲む。




それ以上は今のところ要求がない。

夜中も「お腹すいたー!」と泣いて起こされることもない。



で、やってみましたよ。160サイズの哺乳瓶に何ミリリットルのミルクが入るか。




まずは粉ミルクを入れて100mlのお湯を入れて溶かし、次に残り100mlのお湯を少しずつ入れていくと、、、




なんということでしょう。



フチすれっすれ!!



でも、入った!!!!



蓋をしめて、試しにセイに飲ませてみた。




問題なく飲んでるーーーーーー!!!




しかも哺乳瓶をあまり傾けなくても口に入るので、すんげー飲みやすそう!!!!




これは我ながら嬉しい発見だ。



出かける時にデッカい哺乳瓶持ち歩かなくていい。

洗うのも簡単。



完ミだけど、これでなんとかいけそうだ。



母乳と混合で育ててる方は240サイズは絶対いらない。






お試しあれ〜!!

⑨の続き

 

 病室のある隔離病棟は親族含め部外者は立ち入りが制限されているため、旦那と会うために隔離病棟に隣接してある面会室に通された。




そこには疲れ切った顔の旦那が、心配そうに私を迎えてくれた。



そこでやっと夢から覚めたような、現実世界に戻されたような、なんともいえない安心感が込み上げてきた。



しかし面会は2人きりではなく、例の精神科医も同席しており、その医師が今日のあらましを旦那に伝えた。



細かい内容は覚えていないが、



・奥さんはとてもじゃないがまともな状況ではない

・言っていることが支離滅裂で、おまけに妊婦なので慎重に対応せざるをえない

・一般病棟だと管理に限界があるので、隔離病棟で24時間管理しながらの治療と療養を勧める



そのような事を言っていた。



支離滅裂なのは間違いなかった。なぜならパニックを抑える処置を何度もお願いしているのにしてくれなかったからである。医師、お前のせいやで

いつもなら1時間ほどで発作がおさまるのに、半日以上おさまっていないのだ。おまけに妊娠後期でお腹の強い張りが何度もやってくる。

頭がおかしくなったのも無理はない。

医師、お前のせいやで(2回目)




医師から説明を受け、入院についてあらかた旦那が承諾をしようとしていた。




このままでは人生終わってしまう。

私が壊れてしまう。

そんなの嫌だ!!




発作で苦しい中、




「主人と2人で話したいので(先生は)離席してくれませんか?」



振り絞るような声で訴えた。



医師は怪訝な顔をして、少しだけならと出て行った。

(部屋の扉の前で私が変な行動をとらないようにともう1人の看護師と2人で見張っていた)




そこで私は旦那に



・最初は入院したかったけど、こんな形で隔離病棟に入院なんてさせられるとは思っていなかった

・お腹が張って痛いのに横にすらさせてもらえなかった。

・パニック抑える処置をお願いしてるのに一向にやってもらえず、パニックが今までで一番ひどく出てる

・あの医者はおかしい。このままだと私は壊れてしまう




そんな事を伝えた。



旦那は黙って聞いていて、「俺が先生と話をしてくる」といって部屋から出た。




旦那は、部屋の外にいた医師に



・今日は連れて帰る

・明日また電話で妻の状況を伝える

・妊婦でも飲める安定剤を処方してほしい。本人もそれを望んでいる



そのような旨を淡々と伝えてくれたようだ。



医師は、私が入院したいと言っていたので手配したのに、今度は帰りたいと言い出したので、「ほら、こんな風に支離滅裂なんですよ。何がしたいのかわからないです。」と非難した。



てめぇ。。。




心の中で思いっきり叫んだ。

もし声に出して言い返そうもんなら、どんな報復されるかわかったもんじゃない。



この病院から離れるためとグッと気持ちを抑えた。




この医師としても、私とは縁を切りたかったのだろう。 なんせ大きなあくびを私に見られたのだ。

あくび医師の詳細はこちらの記事



仕方ないですねといいつつ、あくび医師野郎は退院の許可を出した。





一度入院の手続きをしていたため、再び退院の手続きをとる事になり、その間待合室に旦那と2人きりとなった。



旦那は目にうっすらと涙をためていた。



ほら、この顔だ。



一番心配かけたくなかった旦那にこんな顔をさせてしまった。



旦那が今、仕事で大変だというのを一番知っているのは私だ。




他の人では代わりのきかない、そして多くの利害関係者がいて、その中心で頑張って動いている大切な仕事をしているのだ。




そのような中、一時的であれ隔離病棟にまで押し込められそうになった変わり果てた私の姿を目の当たりにして、旦那はどんなにショックをうけただろうか。




私のせいで仕事の足を引っ張りたくなかった。




全てが裏目に出ている私の行動が恨めしかった。




30分後、ようやく退院手続きが済み、妊婦も飲んで良いという安定剤を3日分出された。




そして、そのあくび医師や複数の看護師が奇異な目で見つめるナースステーションの横を通り、そのまま病院の外に出て、待機していたタクシーに乗り込み、病院を後にした。




11につづく。



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隔離病棟に2時間ほど滞在した経験は

今となっては貴重だったなぁと。

他の病室からはうめき声など聞こえていたな。



この大学病院には2度と行くものか。

受付も看護師も医師もみんな忙しいからなのか、みんなピリピリしていて真心も何も感じられなかった。



レポはまだ続くが、本当はマナは、とある有名な産院で和痛分娩での出産予定にしていた。しかしそこは精神科医や心療内科医と連携しておらず、私のようにパニックがくせになってしまった場合は、この病院で出産は厳しいということで、地域連携型の総合病院Bを紹介され、そこで出産することになった。ここは精神科もあり、何かあれば精神科とタッグを組んで出産まで臨める体制があるからだ。



結局はパニック症状がおさまらず、出産2週間前から出産までこのB病院精神科の一般病棟で入院生活を送る事になるのだが。

しかしB病院での事前入院〜出産は、あの大学病院の医師や隔離病棟とは雲泥の差だったのでそれも今後話していく。



⑧の続き。

 

 

 

 

時刻は午後5時を回った頃だったと思う。

 

 

病院に着いたのが朝の10時頃だったので、すでに7時間ほど院内に滞在していた。

 

 

そして朝から引き起こされていたパニック発作は

落ち着かないどころか頭がおかしくなるレベルにまでひどくなっていた。

 

 

精神病棟に入院させられることになり、車椅子に乗せられてエレベーターで地下へ。

 

 

精神科の入院には軽い症状の方が入院する一般に近い病棟と隔離病棟の2パターンあり、私は隔離病棟の方へと決められていたようだ。

 

 

 

※先に結論から話すと、出産までここに幽閉される予定だったが、旦那の機転でこの日の夜21時頃に無事自宅へ帰ってこられた。なのでここではこの日の16時から21時までの病棟での出来事を話したいと思う。

 

 

 

話を戻す。

 

 

 

この大学病院の隔離病棟はとにかくすごかった。

 

 

幾重にもある脱走防止?の為のドアを通り抜けると、無機質でまるで牢獄のような隔離病棟に到着した。

 

 

個室に案内されたが、そこにはベッドと丸椅子と小さな食事用の机が一つ。 

おそらく自殺防止の為だろう。あるのはそれだけだった。

 

 

窓はあったがカーテンはついておらず、すりガラスな上に隔離病棟は病院の地下(半地下)にあるため、窓の上の方からかすかに地上の光がさす程度だった。

 

 

そして監視カメラが部屋についており、何かおかしな行動をすればすぐに誰かが駆けつけられるようになっていた。

 

 

 

まるで牢獄だった。

 

 

 

 

「どうしてこうなって

 しまったんだろう。。」

 

 

働かない頭の中、その気持ちばかりがグルグル回っていた。

 

 

 

看護師が1人やってきて、いくつか説明をはじめた。

 

 

 

今でも覚えているが、若い看護師で、顔は笑顔を心がけていたが、口元が震えていた。

 

 

 

私が怖かったのだろう。

 

 

 

奇異なものを見るような目に私はひどく傷ついた。

 

 

 

その看護師に、スマホを没収された。

隔離病棟では外部との連絡は一切できないとのこと。身内などとの面会や連絡は全てナースステーション経由でないとできないとのことだった。

 

 

 

なんと、旦那に助けを求めることができなくなってしまった。

 

 

 

旦那は今、こちらに向かっている最中とは聞いているが、私の入院の手続きをするために向かっている。

 

 

たしかに最初の頃は、お腹の子供を守りたい一心で、入院させてほしいと思っていた。

 

 

 

だが、あまりの医師の辛辣な態度に、おさまるどころか酷くなっていくパニック。妊婦でも飲める薬を飲ませてパニックを落ち着かせてほしいと何度も頼んだが、それを聞き入れず冷たい対応をする医師。

 

そして思い出したが、医師からの詰問の間、ずっとお腹が張ってとても立っていられなかった。

お腹が張って辛いとも伝えたが、背もたれもない丸椅子に座らされたまま、横にもさせてもらえなかったのだ。

 

 

 

私はこんな医師の元で入院するくらいなら自宅の方がずっといいと思い直していた。

 

 

 

このままだと、私は私じゃなくなってしまう。

お腹の赤ちゃんも死んでしまう。

 

 

 

ここから逃げ出したい。

帰りたい。お腹の赤ちゃんを守りたい。

 

 

 

そう思いながら逃げ出すすべを模索していた時、旦那が病院に到着したと看護師から連絡があった。

 

 

 

 

⑩に続く。

 

 

 

※独り言※

2年半も前の出来事だが、一生忘れない。

っつーかあの医者、まじで消えて無くなってしまえ。。

今思い返しただけで怒りが込み上げてくる。

あんな辛い体験の最中、我が子マナはどんな気持ちでお腹の中で過ごしていたのだろう。

いつか「お母さんのお腹の中にいた時のこと覚えてる?」と、お約束のフレーズで聞こうと思っているが、聞くのが怖い自分もいる。

 

 

いつか聞いた時の返答もこのブログで紹介できればと思う。