(2020.06.30に書いた記事)


平凡で、退屈な人生だった。


幼少の頃、大きくなれば自分もヒーローになれると信じていた。しかし、それは幻影であった。

そう認めざるを得ない日がやって来たのは、もう随分と昔のこと。自分の助けを必要とする人など、世界中どこにもいなかった。もはや、ただ話を聞いてくれる人さえいなくなった… 



ヒーローが活躍するには、一つだけ共通の絶対条件がある。必ず「悪」の存在が必要なのだ。悪なくして正義は成し得ない。

もし悪人が一人もおらず、全員が良い人だったなら、我々が思い浮かべる大抵の「○○マン」は、ただのコスプレの人になる。




時は流れ、小さなウイルスが世界を支配し始めたこの数ヶ月。そんな禍中、一度は諦めたヒーロー願望を、いみじくも叶えた人がいる。

彼らは気づいた。足りなかったのは自身の能力や人徳ではなく、世界を脅かす「悪」の存在だったことに。

相手を罵る行為。それを悪人がすれば、正義のヒーローから制裁が下る。ヒーローがすれば、人々は称賛を贈る。

善悪の基準など存在しない。悪人の行う言動が悪で、ヒーローが行う言動が善。要は「どちら側の人間がするか」という、たったそれだけのこと。




そんな単純なことに気付けなかったおかげで、自分は何十年も惨めな思いをした。満たされない承認欲求に苦しみ、抗らえない劣等感を育て続けた。

でも、それらとはもうおさらばだ。残りの人生は、正義に尽くして生きようと誓った。

…水を得た魚のごとく、彼らは悪を得た。手始めにペーパーを買い占め、自粛を取り締まり、現在はマスク着用を取り締まる。最近では○○警察と崇められ、認知度も上々である。



やはり正義は強い。コロナ以前では、例えば「見ず知らずの人に、通りすがりに罵声を浴びせる」ことは咎められる行為だった。それが今は許される。正義の名の下に、大抵の行為は正当化される。




でも、それは当然である。コロナという悪がいけないのだ。世界を滅ぼしかねない悪に立ち向かうヒーローに、許されないことなどあってはならない。

正義の遂行を阻む行為は、悪を擁護する行為も同然だ。善か悪かの二択。分かり易い方が、やり易い。

善と悪の明確さも嬉しい。悪はコロナで、善は世界を救うこと… どうしてそれを見紛うことなどあり得よう?



正義のヒーローは、今日も町をゆく。マスク非着用の女子供を怒鳴りつけるのも、世界を救う大切な使命。コロナだから、仕方ない!

この世にコロナが在る限り、彼らの夢は終わらない…



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