義父 その後 | 生きてる証

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2018年10月  乳がん手術 その後抗がん剤 放射線治療
菊とも(ケイティ)の名義で
        「乳がんと闘う記録」に書いています。
2021年2月  左足人工股関節置換手術
2021年8月  右足人工股関節置換手術   

義父の遺骨を役所から返してもらうのに
約1ヶ月はかかった。
遺骨を引き取るなら 相続人とみなす。というのだ。
 
義父の住所は 生活困窮者が入る住宅だった。
 
遺骨と所持品はセットなので 渡せないという。
 
旦那は 所持品はいらないし、借金は困るし(あるかどうか分からないけど)
相続人になるつもりは なかった。
ただ、遺骨になってしまったけど
それでも父と 対面したかっただけだろう。
弁護士にも相談しながら 何度も役所へ足を運んだが
担当者は 頑として 渡してくれなかった。
 
結局 相続人として 引き取ったとしても
3ヶ月以内なら 放棄出来るということで
やっと 渡してもらえた。
 
義父は、今 騒々しい私たちの家に いらっしゃる。
 
所持品として渡されたものは ジップロックのような袋に
数冊の通帳と印鑑だけだった。
 
え?これだけ?
カバンは?財布は?
携帯は?
 
他に何もないと言う。
最初は 本当に何も持っていなかったのかと思ったが
 
おかしいのは 家の鍵もなかったのだ。
家の鍵は 確かめたがきちんと鍵がかかっていた。
 
そして 後から分かっていくが
スマホも所持していたし 財布も その中にあったであろうクレカなどの
カード類も なくなっていた。
 
行旅死亡人ということで
どこかの時点で 盗難されているのだろう
入院中に お金を下ろしていることも
確認出来たが そのお金もなかった。
身よりがないなら わからないだろう とでも思ったのか。
 
遺骨を引き取る時に
火葬代と引き取り手数料などで4万円ほどかかった。
 
家は 鍵がないので鍵屋さんに開錠してもらい
実は実家である一軒家と アパートと2ヶ所 あったようだった。
その2箇所分の鍵を 開けてもらった。
 
立ち合いに 義父の弟さんも来た。
旦那と叔父たちは そこで40年ぶりの再会を果たした。
5歳の頃の旦那と今の旦那は すぐには結び付かなかったようでビックリしていた。爆  笑
そして、何故 身よりがないと言ったのか
皆で 泣き笑いのような顔で話していた。
 
 
アパートの中はゴミ屋敷というわけでは なかったが ものすごい物量だった。
長年 研究職に就いていたため 関連の書類と本が
ところ狭しと カラーボックスを40個以上使って
図書館のように 並べられている。
 

 


 

アパートの方は3月末で 退去しなければならなくなり

その時点で 残り20日ほどだったが

 

業者に頼むお金もないし、

何より 旦那の気持ちが納得出来る様に

 

義父がこれまで 何を考え どんな事を思い どうやって過ごしてきたのだろう

 

そこに 少しでも 旦那への気持ちはあったのだろうか。

 

一つ一つ確認をしたかったので

自分達で その2LDKのアパートを全て片付ける事にした。

 

      続く