カポーティという物語 | 猫なでにき

カポーティという物語

『CAPOTE(カポーティ)』を観たのは劇場公開時だった。ふとあいた時間に、目に入った看板に誘われるように、一人で映画館へ入った。一人で観て、正解だと思った。この映画は、いつもの、鑑賞後の他愛のないお喋りには向かない。観た後に、個人的な時間が必要な映画というのが、たまにある。これはそういう類のものだ。

こまかい内容についてはさておき、圧巻だった。映画の中のカポーティは、あらゆる嘘をついているように見える。また、逆に不必要なほど真実を語っているようにも。
いずれにしろ、聴衆は(友人であったり仕事仲間であったり、パーティの客であったり……)魅了されその場から離れることはできない。

また彼は、自分に嘘をつき続けているようにも見える。自覚していてか、または無意識にか。

カポーティ
小説を書くため、取材源である「実際の殺人犯」と対峙し続けるカポーティ。真実を語り嘘を塗り込め、目を、心をのぞき込み、心を掴み、「彼」の友人としてふるまうカポーティ。なんという欺瞞。なんという詐欺。
しかし、そんなことよりもっと大切なことは、殺人犯たる「彼」にとっては、カポーティは既に唯一の友であるということ。他に誰も、残忍な罪を犯した彼に振り向く人はいなかった。家族でさえ、彼に会うことを拒んだ中、鉄の檻の中へやってきてくれるのは、カポーティだけだった。


もちろんこれは映画だ。事件もそれに関わった人々も既に過去のものであり、画面に写るのは本人ではない。

しかし、決して派手でないこの演技者の表情ひとつ、手の動きひとつが、カポーティの狡猾さ、繊細さ、憔悴、苦しみを、スクリーンからにじませる。

フィリップ・シーモア・ホフマンという、ハンサムでも、スマートでもなく、一見地味な顔の……この俳優——とんでもない男だと思う。

スクリーンの前の私たちは、カポーティの話術の魅力にとらわれその場を離れられないパーティ客と同じだ。その幸福も、その不幸も、全ては彼が与えてくれる物語の中にある。

フィリップ・シーモア・ホフマンが次にどんな顔を見せてくれるのか……どんな罠に落としてくれるのか。楽しみで……少し、こわい。


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