カスパー・ハウザーという少年
生まれてから16年もの間、外に出されず、教育を受けず、人間らしい言葉をかけられずに育てられたら、人間はどうなるのだろう?
そもそも、そんな状況で、生きることができるのだろうか……。
しかし、その人物は19世紀のドイツに、実在したのである。
1828年、5月のある日に、その少年は突然人々の前に現れた。1833年の12月に暗殺されるまでの5年間、彼はヨーロッパ中の興味を一身に集めた。彼の名前は、カスパー・ハウザーという。

福村出版刊の『カスパー・ハウザー 地下牢の17年』は、この少年の、発見されてから死に至るまでの記録と、のちに様々な資料からの推論や注釈が付加されたものである。
この本の著者は、カスパー・ハウザーを後の時代から見て分析したのではなく、同時代、しかも彼に直接接していた人物なので、まさに生の記録なのだ。
彼を深く理解しようとしていた著者は、実にこまやかに周囲から取材し、客観的な状態を記し、後にカスパー本人が言葉を充分に理解し使えるようになってからは、本人からも聞き取りをしている。
少年はドイツの都市ニュールンベルクで発見された。広場に、一通の手紙を持った状態で立っていたのだ。おそらく、連れてこられた時の格好のまま、この少年は初めての外界に放り出されていた。
あまりにも不可思議な状況で現れ、またそれが「まるで赤ん坊のように」「動物のように」精神的成長が殆どなく、体だけが成長した不思議な人物であったことで、あっという間に世間の注目の的になる。
世間というのは、いつの時代でもセンセーショナルなものが大好きなのだ。一躍(本人の意志とはまったく関係なく)時代の寵児となり、彼の一挙手一投足が人々の耳目を集めていく。
そして当然のことながら、一体誰が、何の目的で、子供にそんなひどい仕打ちをしたのかと、あれこれと憶測され、噂が立ち、はては「カスパー・ハウザーは身分の高い人物の落とし子だ」という、まことしやかな話まで持ち上がる。(著者はこの説に感心を持ち、かつ支持していたらしい)
しかし、人々から見れば「虐待」の状況であっても、カスパーには理解できない。そこはただの日常だったのだ。突然、音が溢れ光が眩しく(目に刺すように痛かったという)刺激だらけの世界に取り残され、不安でいっぱいだったに違いない。暗い部屋で、外に出ることなく育った彼は、歩く動作も知らなかったようだった。その足の裏は、手のひらのように柔らかく、慣れない歩行で水ぶくれができていたという。
新しい刺激はどんなにか苦痛で恐ろしく、疲れるものだったろう。次第に言葉を覚え、習慣を身につけつつあった時ですら、「(あの場所に)戻りたい」と言ったそうだ。どんな場所でも、それは懐かしいふるさとなのだ。
なんということだろう。“人間”らしさとはなんなのか。誰がそれを決めるのか。
人々は優しく、カスパーは親切にされていたが、それでも彼は苦痛の中にいたのだ。
多くの注目を集める者はまた、多くの妬みや批判も生むことになる。カスパーについても例外ではなく、感心が高まるにつれ、「監禁は嘘であり、すべては彼の芝居だ」という人々も出現することになる。
おそらく、その人らはカスパーの苦痛を理解することは出来なかったのだろう。
結局は支持者も批判者も皆、カスパー本人とは関係ないところであれこれと議論するだけなのだ。
そして、発見されてからたった5年半で、一方的に彼を邪魔にする何者かが、カスパーをこの世から消し去ってしまう。
彼にとって不幸なことに、その時に彼が身を寄せていた人物はカスパーに疑いを持ち接しており、彼が傷を受けた時にまともにとりあわなかったという。同情を引くための自作自演を疑ったというのだ。もちろん、後に見つかった証拠でそれは否定されている。
その結果、3日後に彼は死んでしまう。亡くなるまでの間に、襲われた時の状況をなんとか説明したが、結局犯人はわからずじまいだった。
どこに生まれ、どこで育ち、どこからニュールンベルクに連れて来られたのかもわからないカスパー・ハウザーは、そうして誰ともしれないまま、謎のまま消えていったのだ。
ただ、だからこそ彼に対する人々の関心はいまだ消えていない。
ある者は詩に残し、あるものは音楽を作り、医学研究に名が残り、映画でよみがえる。
18世紀に実在した謎の少年は、現代の人々にも、問題をなげかけ、ロマンを与え続けている。
カスパー本人の意志とは関係なく……。

そもそも、そんな状況で、生きることができるのだろうか……。
しかし、その人物は19世紀のドイツに、実在したのである。
1828年、5月のある日に、その少年は突然人々の前に現れた。1833年の12月に暗殺されるまでの5年間、彼はヨーロッパ中の興味を一身に集めた。彼の名前は、カスパー・ハウザーという。

福村出版刊の『カスパー・ハウザー 地下牢の17年』は、この少年の、発見されてから死に至るまでの記録と、のちに様々な資料からの推論や注釈が付加されたものである。
この本の著者は、カスパー・ハウザーを後の時代から見て分析したのではなく、同時代、しかも彼に直接接していた人物なので、まさに生の記録なのだ。
彼を深く理解しようとしていた著者は、実にこまやかに周囲から取材し、客観的な状態を記し、後にカスパー本人が言葉を充分に理解し使えるようになってからは、本人からも聞き取りをしている。
少年はドイツの都市ニュールンベルクで発見された。広場に、一通の手紙を持った状態で立っていたのだ。おそらく、連れてこられた時の格好のまま、この少年は初めての外界に放り出されていた。
あまりにも不可思議な状況で現れ、またそれが「まるで赤ん坊のように」「動物のように」精神的成長が殆どなく、体だけが成長した不思議な人物であったことで、あっという間に世間の注目の的になる。
世間というのは、いつの時代でもセンセーショナルなものが大好きなのだ。一躍(本人の意志とはまったく関係なく)時代の寵児となり、彼の一挙手一投足が人々の耳目を集めていく。
そして当然のことながら、一体誰が、何の目的で、子供にそんなひどい仕打ちをしたのかと、あれこれと憶測され、噂が立ち、はては「カスパー・ハウザーは身分の高い人物の落とし子だ」という、まことしやかな話まで持ち上がる。(著者はこの説に感心を持ち、かつ支持していたらしい)
しかし、人々から見れば「虐待」の状況であっても、カスパーには理解できない。そこはただの日常だったのだ。突然、音が溢れ光が眩しく(目に刺すように痛かったという)刺激だらけの世界に取り残され、不安でいっぱいだったに違いない。暗い部屋で、外に出ることなく育った彼は、歩く動作も知らなかったようだった。その足の裏は、手のひらのように柔らかく、慣れない歩行で水ぶくれができていたという。
新しい刺激はどんなにか苦痛で恐ろしく、疲れるものだったろう。次第に言葉を覚え、習慣を身につけつつあった時ですら、「(あの場所に)戻りたい」と言ったそうだ。どんな場所でも、それは懐かしいふるさとなのだ。
なんということだろう。“人間”らしさとはなんなのか。誰がそれを決めるのか。
人々は優しく、カスパーは親切にされていたが、それでも彼は苦痛の中にいたのだ。
多くの注目を集める者はまた、多くの妬みや批判も生むことになる。カスパーについても例外ではなく、感心が高まるにつれ、「監禁は嘘であり、すべては彼の芝居だ」という人々も出現することになる。
おそらく、その人らはカスパーの苦痛を理解することは出来なかったのだろう。
結局は支持者も批判者も皆、カスパー本人とは関係ないところであれこれと議論するだけなのだ。
そして、発見されてからたった5年半で、一方的に彼を邪魔にする何者かが、カスパーをこの世から消し去ってしまう。
彼にとって不幸なことに、その時に彼が身を寄せていた人物はカスパーに疑いを持ち接しており、彼が傷を受けた時にまともにとりあわなかったという。同情を引くための自作自演を疑ったというのだ。もちろん、後に見つかった証拠でそれは否定されている。
その結果、3日後に彼は死んでしまう。亡くなるまでの間に、襲われた時の状況をなんとか説明したが、結局犯人はわからずじまいだった。
どこに生まれ、どこで育ち、どこからニュールンベルクに連れて来られたのかもわからないカスパー・ハウザーは、そうして誰ともしれないまま、謎のまま消えていったのだ。
ただ、だからこそ彼に対する人々の関心はいまだ消えていない。
ある者は詩に残し、あるものは音楽を作り、医学研究に名が残り、映画でよみがえる。
18世紀に実在した謎の少年は、現代の人々にも、問題をなげかけ、ロマンを与え続けている。
カスパー本人の意志とは関係なく……。
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