ポール・サイモンを一服 | 猫なでにき

ポール・サイモンを一服

子供の頃、お気に入りの歌があった。外国の曲で、一度か二度、ラジオできいたくらいだったが、キレイで優しいメロディで、「キラキラ星」とか、「ロンドン橋」のような感じで楽しげに聞こえた。私は、すっかり外国の童謡だと思っていた。

中学に入ったころ、FMラジオから懐かしいその歌が流れてきた。歌っているのが Simon & Garfunkel だというのもこの時知った。私が物心ついた頃には既に解散していた、名デュオだということも。

それは、「水曜の朝、午前三時(Wednesday Morning, 3 A.m.)」(1964) という曲だった。


そして、その内容も知って驚いた。こんなに可愛らしい雰囲気の曲なのに、中身は犯罪に走ってしまった若者の歌なのだ。
ああ、僕はなんてことをしたんだ
どうしてあんなことをやってしまったんだろう
僕は罪をおかしたんだ。法を破ったんだ
真面目な酒屋へ押し入って、奪ったんだ
25ドルの銀貨を
追っ手を逃れた青年が、何も知らず眠る恋人の枕元で、語っている。
自分の人生も犯した罪も現実感がなく、これからどうするあてもなく、朝を迎える前の時間を、ただ愛する人の顔を見ながら途方にくれている。

先の見えない社会の中に取り残された青年が、後先考えずに犯した犯罪を嘆いている様子は、今の社会とも通じるものかもしれない。

これはアルバムの表題作でもあるから、作者Paul Simonの思い入れも深かった曲なのだろうが、内容によほどこだわりがあったのか、次のアルバム『Sounds Of Silence』には、ほぼ同じ歌詞で曲調がガラリと違う曲が収録されている。

「どこにもいないよ(Somewhere They Can't Find Me)」という曲だ。
(拾ってきた映像、内容は曲と関係ないが…各国で拾ってきた“変な英文”を集めたものらしい)


この曲は、ベースとなっているのがDavey Graham作曲の「Anji」で、同じく『Sounds Of Silence』に収録されているのだが、ギターの名手として知られるPaul Simonが影響を受けたひとりがDavey Grahamだという。
その彼への敬意を表して、自分のこだわりのテーマに乗せて新しい曲として作り上げたのかもしれない。

曲調だけでなく、それに合わせてか歌詞にも変化が見られる。
前述したように“ほぼ同じ歌詞”なのだが、「水曜の朝、午前三時」が恋人を置いていくのを躊躇しているような内容だったのに対して「どこにもいないよ」では、
Before they come to catch me i'll be gone.
Somewhere they can't find me.

捕まえられる前に、僕はいくよ
誰にも見つからないところへね。
きっぱりと、別れを選んでいるようにみえる。

「水曜の朝、午前三時」の頃にはPaul Simon自身も、ミュージシャンとしてまだ未来が見えない中にいたのが、「どこにもいないよ」の頃には、大きな変化があったのかもしれない。
(実際、最初のアルバム『水曜の朝、午前三時』は出た当初は3000枚しか売れなかったというが、二作目の『Sounds Of Silence』は大ヒットしている)

以来私は、この美しいメロディと反するような激しく内面的な歌詞を合わせもつ、Simon & Garfunkel に、というよりは Paul Simon に、すっかり魅了されてしまった。
洋楽を、内容を意識して聴くようになったのは、このあたりからだったと思う。
だから、今でも私の中で Paul Simon は特別なミュージシャンなのである。

私にとって、Paul Simon の曲を聴くのは、一服のお茶をいただくようなものだ。それはなんともしれない落ち着きをもたらしてくれるから。


最後に、誰でも耳に馴染んでいるこの名曲。
Andy Williams と Simon & Garfunkel が一緒に歌った、世にも美しい 「Scarborough Fair/Canticle」。
原曲はイギリスのトラディショナル・ソングで、詠唱部分に Paul Simon オリジナルの反戦歌がからむ。





Paul Simon が作り出す名曲の数々は、むしろソロになってからの方が“本領発揮”というところかもしれない。音楽をのびのびと楽しみ、より自由になっていくように思うのだ。
それはまた別の項で書こうと思う。




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