アシモフ先生、お茶目すぎ | 猫なでにき

アシモフ先生、お茶目すぎ

SF好きでもそうでなくても、一度くらいは耳にしたことのある名前、アイザック・アシモフ。タライ

私はといえばSFマークのタライで産湯をつかったくらい(嘘)SFまみれだ。


そんなわけで、アシモフといえばSFだしロボット三原則なんだけど、何作か推理小説も書いている。もちろん、史上稀に見るくらいの多種多作で、しかもそのどれも評価されて成功している天才アシモフ博士が、推理小説を書いたからといってなんの不思議もない。
でもSFファンである私は、同時にミステリファンであるにも関わらず、何故か「アシモフの推理小説」を無視してきた。アシモフ先生ごめんなさい(反省)。

「黒後家蜘蛛の会」1巻の前書きに、こんな文章がある。
 私はいろいろな分野で文章を書いてあるために、たとえば、こんな質問がちょくちょく寄せられる。
「二流のSF作家でしかないあなたに、どうしてシェイクスピアについて二巻ものの本が書けると思いますか?」
「シェイクスピア学者であるあなたが、選りによってSFスリラーを書くのはなぜですか?」
「生化学者のあなたが、歴史の本を書くとはいったいどういう神経なのですか?」
「一介の歴史学者にすぎないあなたは、科学についていくらかでも知っているつもりなのですか?」
 云々等々。
 とまあこんな具合だから、あるいは面白半分に、あるいは憤怒に駆られて、私に何故に推理小説を書くかと質問して来る読者があるであろうことは充分予測される。

お茶目な人である。多分そのテの質問は本当に多かったんだろうけど、アシモフ先生のことだからその端からこうやって話のネタにしていったに違いない。

とりあえず私が手に取ったのはこの一冊の本。
ABAの殺人
『ABAの殺人』。1976年の作品だ。ABAとは、アメリカ図書販売協会のことで、その年次大会(書籍のビジネスショーのようなものだ)で事件はおこる。

なにしろあのアシモフの作品だし、推理小説だし、本人いわく「理想とするところはエルキュール・ポアロと彼の灰色の脳細胞」なのだからして、期待は膨らむわけだ。


ページをめくる…2ページ目、売り子の女性の描写……
そのドレスと彼女の見事な体との間には何も着ていなかった。本人がジッと坐っている間は、両の乳房は戦略的な位置に縫い付けられた小さな衣(ぬの)の部分に隠れる。さて片腕を上げる段になるとドレスの片側が一緒に持ち上がるから、そちらの乳首が網の目からコンニチハと頭を出す。

あ、アシモフ先生ってば。かんべんしてください、こんな冒頭から腹をよじれさせないで (・∀・;)


ちなみに、舞台になっている1975年のアメリカ図書販売協会は、実際に開催された大会である。
小説の中にはダグラス・フェアバンクス・Jrカール・セーガンユリ・ゲラーの話題がでてくるが、それも大会での事実をそのまま入れてあるので、当時の様子が垣間見られて面白い。そしてアシモフ本人も参加していたので、当然登場人物に含まれる。アシモフ流の本屋業界への皮肉の数々も、見逃せないトコロ。

その実名満杯で実際に開催された会の中で、冒頭が売り子さんのあられもない衣装の描写なんである。
俄然、この人も本当にいたのかと気になる(そっちかい)

というのはさておいて、ホント、主人公の行く先々でドタバタするのだが、エロい妄想やシモネタも満載で、セックスフレンドと部屋にシケこんじゃったりして、もう大変なのである。
生真面目な推理小説ファンは怒ってしまうんじゃないだろうか(そして推理小説ファンには生真面目な人が多い。ような気がする)

物語は主人公の友人が死ぬかなり前の段階からはじまり、死んだ時点に行き着き、誰の目にも(警察も)事故と見えるソレを主人公だけが「そんなわけはない」と走り回り事実を拾い集めていくのだが、この死んだ男のとんでもない性癖がその疑問の理由のひとつなので、おおっぴらに説明できないし、したくもない。何がなんでも自分が見つけ出していこうとする。

それもこれも、
「彼が事故で死んだとしたら、そりゃ私のヘマのせいかも。それだけはカンベンして」
の一心なのである(おいおい)。

なにはともあれ、面白いよコレ
某所のレビューでは、翻訳の言葉遣いがごっちゃになって、クソだと書かれてますが、私にしてみりゃあ、この主人公はオバさん体質のエロオヤジなのであって、そういうヒトはよくオバさん喋りをするのだ。そういうヒトを多く知っているので、会話もなんの問題もなく楽しく読めてしまったのでOKだったのだった。