二人分のホットコーヒーを淹れていると、老人も船室から出てくる。淹れ立てのコーヒーと煙草を朝食代わりにし、仕掛けの準備へと移る。老人が突然、今日は10本だけにしておけ、後に時化るぞ。と言ってくる。ふと海を見ると、静かに水を湛えたプールのように波ひとつもない水面が広がっている。そういえば、明け方から船が全く揺れていなかったことを思い出す。

 なぜです?と問いかける。昔の人は良く言ったものだな。これが嵐の前の静けさと言うやつだ。南西の空を見てみな。夜が明けたばかりなのに、あそこだけ空の色が暗く淀んでいるだろう。そして今の時期は大陸から強烈な西風が吹く。遅くても今日の夜にはあの低気圧が移動してくる。大荒れになるぞ。いつもの冗談を言っている顔ではない。目つきが職人のそれになっている。分かりましたと応え、作業に移る。

 いつもの3分の1の仕事だ。やはり昼過ぎには回収も終わってしまう。が、作業中から嫌な感じがまとわりついていた。昨日までは好調だった漁獲がこの日に限ってまったくイカが上がらない。それどころか、あまりの多さに辟易していたムラサキイカすら上がってこない。海の中でも異変が起きている。これから来る嵐に備え、どこかへ避難してしまったようだ。その間も海は不気味な静けさが漂っている。

 時間がたつにつれ、背筋に流れる汗が、冷たくなっていく。本能が危険を察知しているようだ。嵐への対策をあらかた終わらせても、海は静かなままだった。朝方遠くに見えていた雲の塊は、やはりこちらへ向かってきているようだ。無線からは最大風速18メートルの嵐で、波も8メートルに達する見込み、と連絡があったが、この静けさを見ると、にわかには信じがたい。嵐が来るまでは、とこの日出港してから初めてエンジンを切る。こいつも少しは休ませないとな、と老人は笑う。

 風の音も、波の音も、まったくしない無音の世界。時間さえ止まってしまったような錯覚に陥る。心臓の鼓動がやけに体に響く。日が高いうちに休めるのは久しぶりだった。やる事もないので、試しに、と釣竿を垂らしてみる。が、もちろん反応は無い。プールのような海を眺めながら、見渡す限り、何も見えないその光景に、地球は本当に大きいな、と感じる。気のせいか水平線は丸みを帯びているようにも見える。

 そんなことを考えていると船のすぐそばの水面が波立ち、パシャッという音とともに、水面に背鰭が現れる。初めて見る野生のイルカだった。おそらく、オキゴンドウと呼ばれる大きめのイルカだ。物珍しいのか、船に興味を示し、着かず離れずの距離でこちらの様子を伺っている。垂らしていた釣竿を引き上げ、水面を見ていると、次から次へとイルカが姿を見せる。おそらく40頭ほどの群れだった。群れの長だと思われる、左目と背鰭に傷を負ったイルカと目が合う。しばらくして、害はないと判断したのか、船の周りで遊びだした。私は気が付くと海へと飛び込んでいた。

 なんだか誘われたような気がした。目を開くも、海水で視界はぼやけたまま。一度水面に上がり、大きく息を吸う。勢いよく頭から潜り、2回大きく手をかく。目を開けても何も見えないな、と目を閉じ、海に身を任せる。耳にはイルカたちが発するキュイ、キュイ、と言う声が響く。水深は1000メートルをゆうに超えている。この海域、水深では何が起きてもおかしくない。が、不思議と恐怖は感じなかった。心地のいい子守唄を聞いているような感じがした。体中の緊張を少しずつ解き放っていく。

 肌と海の境界線が曖昧になる。イルカたちも、不思議な格好をした得体のしれない生き物に興味津々で近づいてくる。息を止めているのも忘れて、イルカたちと戯れる。体が海に溶けていく。重力から解放された自由な空間がそこにはあった。時間にして一分ほどだったと思うが、永遠に続くかと思えるほど長く感じた。幾度か潜水を続け、最後に顔を出したのは20分ほどした頃か。飽きたのか、イルカたちは尾ひれを高く上げ紺碧の海へと潜っていった。過酷な環境の中、究極の癒しをもらう事が出来た。


 束の間の休息を終えると、老人の予告どおり、海は大きなうねりを伴い、激しく波打つようになってきた。エンジンを再点火し、波に合わせて操船しながら、ひたすら嵐が過ぎ去るのを待つことになる。時はすでに夕闇の時刻に差し掛かっている。周囲を照らすライトなどは装備していない。仮にあったとしてもこの雨では使い物にならなかっただろう。あっという間に日は沈み、宵闇に包まれていく。

 視界は悪く、波の状況さえ見えない状態だが、船の傾きがその波の大きさを伝えてくれる。船の隅々まで神経を集中し、波に対して船が直角になるように舵を切る。これだけの大波を横からくらっては、船は水平を保てず、簡単にひっくりかえる。しかも、波の姿は見えていない。判断を間違えると、一気に事態は最悪の展開になってしまう。

 恐怖に飲まれかけた私に、老人は落ち着いた様子で語る。ここまで荒れてしまっては、思考は意味をなさないぞ。頭の理屈は捨てて、感覚を研ぎ澄ませろ。感じたままに操船しろ。それが正解だ。その刹那。大波を乗り切り、波を下っていたはずの船がドン、と言う音と共に、真下から突き上げられ、急激に左へと傾く。たった数秒だが、船は確実に水平を失っていた。船室の壁に体が叩きつけられる。舵にかけた右手だけは離さずに、何とかコントロールを試みる。返す波で今度は右の壁へと吹き飛ばされる。

 舵が効かない。

意図する方とは逆に船が流れてしまう。私は見る見るうちに青ざめた。これが三角波の怖さか。と改めて海の怖さを実感する。

 これまでどんな大波でも、一定のリズムで同じ方向から来ていた。だが、今回の波はそれとはまったく違う。船尾が持ち上げられたかと思うと、次は右舷前方が持ち上がる。水面に次々と波の山が表れ、船を弄ぶ。予測が効かない。船は水面に浮かぶ枯葉のように翻弄され、ミシミシと木をねじ切るような不気味な音を響かせている。

 とたんに『死』と言う単語が頭を埋め尽くす。次第に筋肉の緊張は高まり、息は浅く早くなり、体中に経験したことのない気味の悪い汗が噴き出す。膝は上半身を支える事で精いっぱいで、この揺れの中では踏ん張る事すらできない程震えている。心臓は尋常ではない速さで鼓動し、喉の奥は締め付けられ、口はカラカラに乾いている。思考は完全に機能を果たさなくなっていた。

 今まで出来ていた事が一つ一つ出来なくなっていく。恐怖や絶望、無力感。ありとあらゆる負の感情に飲み込まれてゆく。視界は狭まり、舵を持つ右腕は見当違いの方向へ舵を切っている。物凄い風と波の轟音が響いていたはずだが、私の耳は聴くことをやめていた。どこか、映画のワンシーンを無音で見ている感覚に陥り、完全にパニックを起こしてしまった。

 船は自らの持つ復元力で何とか航行を続けているが、操る人間が平常心を保っていなければ、沈没は時間の問題だ。船の力だけで、何とか次の大波を乗り越えたが、私は切ってはいけない方向へ舵を切ってしまう。老人が鬼の形相でこちらを見て、叫んでいる。が、口が動くだけで声は聞こえない。全てがモノクロのスローモーションで再生されていく。迫りくる大波に怖気づき逃げるように波に背を向けてしまった。船は船尾が持ち上げられ、船首がどんどん水中へ潜って行ってしまう。もう操船どころではない。甲板は海水で溢れ、海と船の境が分からなくなるほど、波を被っている。この波を何とか乗り切ってくれ、と願うしかない。自然の驚異をまざまざと見せつけられる。

 一生分の運を使い果たしたのか、何とか船は水平を維持し、奇跡的に沈まなかった。
 
 後に老人から、あれは海の神様の洗礼だ。沈まなかったのはお前にまだまだ生きろ、と言う事だったんだと思う、あの状況で沈まない船を俺は聞いたことがない、とまで言われてしまった。


 もう舵すら握れなくなってしまった私に、波で吹き飛ばされるのとは違う方向から、強い衝撃が飛んできた。船室の外に投げ出され、唇からは生暖かい血がしたたり落ちている。見上げた操船席には老人が陣取り、懸命に船を安定させようとしている。ぼーっとしていた頭が、つい数秒前の記憶をリプレイする。何をどうしていいかわからなくなった私に、老人が渾身の左フックを浴びせていた。

 切れた唇の痛みが、私を正気に戻してくれた。一部始終を思い出し、はっと我に返る。それに気づいたのかはわからないが、老人は舵を操りながら、少しは頭が冷えたか?青二才。と言って高らかに笑う。こんな海こそベテランの真骨頂だ、と言わんばかりに、次々に波を乗りこなしていく。先ほどまでは、大きく左右に振られ、悲鳴を上げていた船が、今ではビッグウェーブをとらえたサーファーのように、気持ち良さそうに波の合間を縫って航行している。

 ようやく落ち着きを取り戻した私の世界に、音が還ってくる。気が付けば体の震えも止まっている。そこからは老人が7時間にわたり嵐と格闘を続けた。暗黒の雲の隙間にオリオン座を確認するころ、ようやく長い戦いに終止符が打たれた。低気圧の中心を抜けたのだ。

 いいか、色白よ。お前は最初の波に怖気づき、歯車が一つずれた。その後修正を試みたが、これが見当違いで、また歯車がずれる。一度ずれた歯車は簡単には戻せない。海の上で、一つミスをするという事は、そのまま死に直結するという事だ。身に染みて分かっただろう。肝心なのは死に飲まれぬ事だよ、海と俺たちの命のやり取りなんだ。ここが際の際、という時に、どれだけ冷静で居られるか、が死線に活路を見出すことになるんだ。と嵐の後老人は諭してくれた。

 
 殴ったことはお前を正気に戻すのに必要だったが、悪かった、と謝罪も受けた。激しい安堵感で、立つことすらままならなかった私は、頷くだけの返事を返し、気づけば涙が頬を伝っていた。