ただただ響くエンジン音と風の音、そして、照り付ける太陽の光。ただ待つ、と言うのは簡単なようでとても難しい。ちらちらと時計を見ては、まだ一分も経っていない事に驚かされる。この状況の中、たった一人で何をしているのだろう、と気になり、久しぶりに口を開く。高々5時間声を発していないだけで、喉は発声を忘れたかのごとく、咳き込んでしまう。

 気を取り直して訪ねてみると、海と空の声を聴いているんだよ。と返事が来る。曰く、40年以上この仕事をしていると、水平線の先の空の色や、風の吹き方、波の具合で、どんな変化があるのか、最低でも半日前には察知できるそうだ。

 こればかりは、長年の経験則にはかなわない。近頃では、衛星を使いどんな外洋でもインターネットを使用できる設備を備えた船もあるそうだが、データは経験にはかなわんよ、と老人は鼻で笑う。老人はある程度データは必要だが、最後は人の勘が一番ものを言う。俺たちが漁師になりたての頃は、こんな上等な設備はなかったし、天気予報も決まった時間にしか流れない。そんな中海で生きていくには、先輩たちの経験を聞き、自分で応用し、判断していくことが重要だった。一つの判断ミスで永遠に帰る事が出来なくなる時代だ。俺が今、港の最年長で、同い年がいないのも、皆海に散ったか、体を壊して再起不能になったかのどちらかだ。お前は恵まれているよ。潜り漁にしても、ソデイカにしても、な。だから、死に物狂いでついてこい。


 これまで、まともに海のことを教えてくれなかった老人が、この時初めて仕事への姿勢を説いてくれた。いきなりこんな話をされては、さっきのいたずらも水に流さなくてはならないではないか。それにしても、船は進まない。

 GPSで航跡を確認するも、20時間かけて、まだ80㎞も進んでいない。予定の漁場はこれよりまだ100㎞は先だ。波が高かったからか、航海は思うように進んでいないようだ。

老人はこれも想定内だ、と言い、眠れるなら今のうちに寝ておけ。ただ、船室は余計に酔うから、船室の前にある物置の下に寝袋しいて寝な、と言いそのまま操船に戻って行った。私は言われた通り、物置の下へと移動した。ここは普段老人が使っている場所で、一番波の影響が少なくなるようになっている。その中に潜り込み、気持ち悪さと戦いながらも、しばしの眠りへと落ちていった。

 起きると、辺りはすでに暗くなっていた。時計を見ると3時間ほど眠っていたようだ。海は先ほどよりも穏やかになっている。船は夜間の航行用にライトを灯し、右舷に緑、左舷に赤のライトが点灯している。すでに陸の明かりを目にする事は出来ない。急に心細くなってくる。子供じゃあるまいし、と自分に言い聞かせる。それでも胸に刺さる小さな痛みは消えない。この年でこんな感情を抱くとは、と困惑した。結局、私が寝ている間にトローリングの仕掛けは回収されていた。マグロはやっぱりと言うか、仕掛けにはかからなかった。これも地道に行け、と言う神様の意思なのだろうと思う。私にギャンブルは向いていない  。