「第5弾」
沖縄旅行に行って来ました。
時は1969年8月、今から半世紀前です。
当時はまだ米国統治下だった沖縄、
敗戦後24年目の年でした。
開戦末期、制空権を失くした日本は、本土
地上戦決戦を挑んだ日本兵と米兵の死闘が
繰り広げられた激戦地沖縄。20万人の方が
亡くなったその場所を一度訪ねて見たかっ
た事と、米軍統治下とは一体どうゆう所な
んだろう。
そういう思いから
日本政府発行の旅券を取得し、友人と沖縄
旅行に出掛けた記憶です。
〈本編〉
沖縄上空にさしかかると眼下の写真撮影
禁止の機内放送があり、この数分後、那覇
空港に着陸。
滑走路上でタラップを降り、熱さ跳ね返る
滑走路を歩いて税関建屋へ。ー省略ー
空港からタクシーに乗ると右側通行、
左ハンドル ゛異国だった゛
那覇市内の観光ホテルにチェックイン。
フロントの日本人女将に、
「本土から観光旅行で来ました」と告げる
と、なぜか大変喜んでくれた記憶がある。
女将の話しでは、
沖縄への一般観光客は少なく、来られる多
くは九州方面からの出稼ぎ者で米軍基地で
働く人ばかりと言っていた。
早速、
本土から持ってきたお土産のハイライトを
カートン箱で手渡した。そのお礼に沖縄の
多くの方が愛煙のハイトーンを下さった。
ホテル内にはアメリカ煙草 マルボロ、
ラッキーストライク、ベンソンヘッジス等
が販売。日本本土煙草は一切売ってない。
沖縄流通通貨はドルで、滞在中はマルボロ
をドル買いで吸った。
翌日からの島内観光にあたり、沖縄では
日本人立入禁止区域や安全面を考え、滞在
中は案内人と昼夜一緒に行動する事にした。
これ、女将からの進言でした。
ー後半は別記事にてー
当時の国際通りで、高い建物はなく木造の建物が多かった記憶があります。