会社を辞めたこと | ねくらな女のゆるい話

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根暗で三日坊主の自分。
毎日日記を書こうとしても1週間続かない。
自分が何を考えているのかもよくわからない。
なんとなくブログを始めてみよう。

思い出したくないことって誰しもあると思います。わたしはこの半年間のできごとがそれにあたります。

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わたしは昨年の夏頃から、本格的なうつ状態が続いています。年末年始のあたりまで、ご飯の味が感じられなかったり、急に涙が止まらなくなったり、身体が重くって仕方なかったり、、、。他にも辛いことが多々ありました。ひどい時は、自分は価値のない人間→生きているだけで迷惑をかける→死なないといけない→死にたい消えたい→死んだら迷惑をかける→結局死ねない→なんて価値のない人間なんだ  という思考を繰り返し、大げさではなく目に入るもの全てが灰色に見えていました。結局仕事を続けることができず、退職を選択しました。その時は全てを失ったと確信していました。わたしの体をゆすっても何も音がしないんぢゃないかと思うくらい、自分自身が空っぽに感じていたのです。
会社を辞めると決めてからは、自分に任されていた仕事を放り投げることに対して、申し訳ない、情けないという気持ちが強かったです。就活中ここでどうしても働きたいと心から思い、内定の電話をいただいたときの飛び上がるほど嬉しかった気持ち、今でも覚えています。だからこそ、そんな会社を辞める自分を許せませんでした。
退職前に自分の机を整理していると、新人研修で書いた目標シートや自分が勉強しながらまとめた資料やノートが出てきて、それをシュレッダーにかけなければならないことが辛く虚しく、涙をこらえるのに必死でした。
仕事を辞めてからは、実家へ戻り、病院へ通いながら家でゆっくりと過ごさせてもらいました。退職したことについて父は何も言わず、そっとしておいてくれました。母は、昼全く外に出ないわたしを心配して、夜のウォーキングに誘ってくれたり、何度も「若いんだからなんとでもなるよ」と言い聞かせてくれました。姉や妹も電話やラインでわたしの話を聞いてくれ、励ましてくれました。今まで生きてきて、家族の存在をこれほどまで心強く感じたことはありません。全てを失ったと思っていたけれど、わたしは大切な存在を失っていなかったんだなと感じました。

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今でも夜眠れないことや、耳鳴りや、イライラや不安状態などはありますが、それでも楽しみや目標も増えてきました。人混みだって怖くないです。健康志向になりましたし、テレビも面白いって感じます。

今までは辛かったことや嫌だったことは「思い出さないように、思い出さないように」と自分に言い聞かせてきました。そうしないと自分が壊れてしまいそうだったからです。でも「思い出さないように」と繰り返しながら、一生懸命思い出している自分がいます。わたしの心は辛かった時期の自分も無理に忘れたくないのかな。だから、「忘れよう、思い出さないようにしよう」ではなく、「辛かった時期があるから今があるって思える人生にしていこう」と思うことに決めました。その一歩として、少し勇気を出して今回会社を辞めたことについて書かせていただきました。