手白小屋事故顛末記  | 奥鬼怒山荘ワークW

手白小屋事故顛末記 

                                                                  Bno.865 高田昌也

 

 「ちょっと待った―」という悲鳴とともにモミの大木は小屋を目がけて倒れていった。 だれもが想像できなかった結末を目の当たりにして「アーッ」という叫んだ後、声が出なかった。六月一日、先輩たちが力を尽くして建て、現役、OBが守ってきた奥鬼怒山荘の屋根に大木が倒れ、一階の広間が使用不可能になった。五十年以上の小屋の歴史で初めての事故を目撃した者として報告する。

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 五月三十一日に小屋入りしたのは、諏訪本監督以下OB、現役に加えて、丹沢で林業を営む前田OB(BN1106)と社員二人。前田OBらは、三十一日から精力的に下準備に取り掛かっていた。 今回倒すのは水場近くのブナと小屋裏に不気味に立ち尽くすモミの大木の二本。両方とも幹回り二・五㍍、全高三十㍍を超える。強風などで倒れれば、小屋を直撃する恐れのある危険木だ。大木を倒す方向にあるカエデやブナなどをチェーンソーで切り倒していく。そのカエデやブナも樹齢は少なくとも数十年が経過した高木である。

 翌六月一日、水場近くのブナから取り掛かる。かかとに鋭い刃のついた特殊な器具を足に取り付け、十五㍍近い高さまで刃を幹に刺しながら登り、ワイヤーをかける。そのワイヤーを倒す方向からけん引具で引っ張り、ピンと張る。同時に倒す方向の根元にチェーンソーでくさび状に切り込みを入れ受け口をつくる。反対側から受け口に向けて水平にチェーンソーで追い口を入れる。けん引具をキリキリと回し、引っ張る。けん引具が回らなくなると、追い口を一㌢、二㌢と小刻みに入れる。またキリキリと引っ張る。それを何度も繰り返すと耐えきれなくなった幹から「ピキッ」と泣き声が聞こえる。「ビキビキッ」と木肌が裂け、スローモーに傾き始める。ブナは想定通りの方向にきっちりと倒れた。

 休憩を挟み、幹回り二・八㍍のモミの大木に挑む。前田OBたちはブナよりも時間をかけ、倒す方向を確認する。ワイヤーをかけ、けん引具でピンと張る。受け口を入れる。追い口を入れる。同じ手順を踏み、キリキリとけん引具を回す。「ピキッ。ピキッ」と泣きだす。

 そして冒頭のシーンを迎えることになった。

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 モミは根を露わにしてひっくり返っていた。切り口を見ると、幹の中の半分は朽ち、空洞化が進んでいた。根も幹も自分の重さに耐えきれず、想定外の方向に倒れてしまったようだ。

 今回作業をしないで、台風で倒れたら、小屋の屋根の中央部を直撃し、再建不可能な被害となることは容易に想像できた。

 また、幸いなことにけが人が一人も出なかった。倒れたときには、倒れるシーンを見ようと小屋内に誰もいなかった。倒れる直前に小屋に着いた後発組の現役部員らが小屋玄関前にいたのを諏訪本監督が「反対側に回れ」と指示した。指示がなければ、モミの直撃を受け、大惨事になるところだった。

 モミは一階広間の山側の屋根を三㍍にわたってぶち抜いた。梁の一部が折れ、垂れ下がっていた。広間とストーブの間の壁も歪んでいた。ストーブの煙突もずれている。修理には相当の作業が予想される。

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 数え切れないほど細かく年輪を重ね、何百年も前から存在した木を倒すということは、神の域に足を踏み入れる所業である。諏訪本監督は倒す木に酒をまきお祓いを欠かさなかった。それでも神の怒りに触れたのか。願わくば、小屋を修理再建することは赦されたい。