久しぶりにアメブロを開いた。

しかしまあいつ見ても最新記事で溢れ返っていて驚く。

プロフィールに飛んでみると毎日更新とかしていてもっと驚く。

毎日毎日カタカタ打って(もしくはフリック入力で)投稿しているのか。

テレビをめっきり見なくなりNetflixやU-NEXTに入り浸るようになってしまった僕ですら知っている著名人の方々が更新しまくっている。

絶対に忙しいだろうに。


数時間バイトして帰ってきてシャワー浴びてNetflix見まくってる僕なんかよりずっと忙しいはずである。


あまり人から見られない努力というのはこういうものなのか??





個人的に努力は好きではない。

かの超絶名作漫画、『ジョジョの奇妙な冒険』第2部における主人公、ジョセフ・ジョースターはこう言った。

「おれの嫌いな言葉は一番が『努力』で二番目が『ガンバル』なんだぜーッ」と。

わかる。わかるよジョセフ。嫌だよなあ努力。

当時ジョジョにドップリ浸かっていた僕は大いに頷いた。

しかしその後、彼は修行をちゃんと受け、波紋パワーを向上させて最終的には戦友の死にも打ち勝ち、究極生命体を銀河の果てにカッ飛ばすことに成功するトンデモパワーのナイスガイになるのである。 

良くも悪くも素晴らしい情熱漫画だ。

当時はカッコイイと思った反面、

「努力嫌いなんじゃねーのかよ!!!」と思った。

オタク畑で人生の大半を耕してきた僕は、読んだ漫画、小説、音楽、映画……あらゆる作品のキャラクターに自分を投影して少しづつ己を鼓舞していた。


『新世紀エヴァンゲリオン』の碇シンジ(しかし僕は式波・アスカ・ラングレー様が大好きだった。マジで。)、『進撃の巨人』のアルミン・アルレルト(サシャ・ブラウスが大好きだった。マジで。いくら大好きな声優さんが声当ててもあのガキは未だに許せない)。

『ブレイキング・バッド』や『ベターコールソウル』のソウルグッドマン、『20世紀少年』のケンヂとかオッチョ(正直5巻の真ん中くらいから11巻位まであんまり好きじゃない)に自分を勝手に重ねては強くなった気になって元気を出していた。


ちなみにこれは余談だが、『進撃の巨人』内で僕が好きなキャラクターはほぼ死んでいる。シーズン3初期で僕が好きなキャラクターは死ぬというジンクスを自覚してしまい、そこからは死んでも悲しくなくなった。どのキャラクターが死ぬか知りたい方は僕に訊きなさい。


そしてここに列挙した作品達から分かるように明るいものや当時同世代の間で流行っていたものは無い。

なので周りの意見にはついていけなくなった。

そこでまた努力をしなければいけない理由が生まれるのである。

逃れるためにまた作品の中に逃避行する。

また流行りに遅れる。

そしていつしか僕は流行りを押さえることを諦め、

流行りに乗っかっているヤツらは総じてバカ

というクソみたいな思考に歪んでいくのであった。


が。






この話は長くなるのでまたの機会にしよう。

ともかく。

僕は努力が出来ない。

努力というより努力に近づく1歩を踏み出せずにいる。

ギターのチューニングがめんどくさくて狂ったまんまで練習をする。

メトロノーム巻くのがめんどくさくて止まったらそのまんまでギターを置く。

シンプルに病気か気が違えているに決まっているのだがそんなことは今更確認したくない。

なぜならこの世界は残酷だからだ。

ネタが無いままここまで来てしまったが次回のネタが出来てよかった。

また会いましょう。