人間にとって大事なのは
「居場所」
だと思う。
私は一時期、研究に関すること全て出来なくなった。
研究をすることはもちろん、実験ノートに研究経過を書くこと、論文を読むこと、そして研究室に行くことに体が拒否反応を起こした。
研究しなければ卒業できない
わかっているけれど、体が動かないのだ。
論文をたった一行を読もうとしても脳が理解しようとしない。
ノートに字が書けない。
今だから分かるが、目の前の研究に意味を見い出せない状態だった。
体の一部を動かそうとしても動かす理由が見つからない。
大学を卒業することが当たり前だと思っていた今までの自分ならそんな疑問を持たずせっせと研究していただろう。
でも、生きることさえも疑った当時は研究をすることを拒否していたのかもしれない。
「居場所」ではないと判断していたのかもしれない。
私の場合、大学の研究室が舞台だったが他の環境にも当てはまる。
高校、大学、仕事、家庭、友人関係
どのような状況でも
環境の「居場所」がない
心の「居場所」がない
と、つらい。
そんな時こそ「居場所」を見つめ直すことが大事だと思う。
自分が認められる「居場所」
自分の心に自身の行動を批判せずに認めてあげる心の「居場所」
他にも色んな「居場所」があるし、「居場所」は新しく作ってもいい。
でも「居場所」がないと人間は途方に暮れてしまう。
人間は考える能力があるせいで余計なことを考え、悩み生きていく生き物。
だからこそ、純粋な自分が自分でいることを認められる「居場所」が必要だ。
ナガタロー