大学にも行かず、人目を気にしながらノート、ペン片手に家とカフェをただひたすら往復。
1年間毎日、自分に問いかけ続けました。
こんなことを自問自答し続けたら生きてる意味、生きる目的、死ぬ理由など考え始め、当たり前のことがだんだんわからなくなってきます。
悩み始めて半年経った時にオウム真理教の特集を見ました。
そこでは、研究成果が思うように出ない不満、将来への不安をもった大学院生がオウム真理教に埋もれていく姿が説明されていました。
今までの私だったら
「ふーん。こんな感じで危険な宗教にハマっていってしまうのかぁ。」
という具合に他人事のように捉えるでしょう。
でも、当時の私は少し違った。
「あ…良かった…。テレビを見てる側で良かった…。今の私が勧誘されてたらどうなっていただろう…」
他人事とは思えませんでした。
全てを疑い、何を信じたらいいのか分からなくなっている私が勧誘を受けていたら救いの手と勘違いし一員になっていたかもしれません。
オウム真理教のように人を傷つける行為をする宗教にハマってしまう人はきっと信じるものが分からなくなっている人ではないかと思います。
信じる何か、生きる意味を見失ってる時は「絶対的な真理」を求めます。
例え間違ってる真理だとしても、何でもいいから「何か」にしがみつきたくなるのです。信じたくなるのです。
もう、不安なんかを感じたくないから、悩みたくないから。
これは私の一意見です。
ですのでオウム真理教にハマった人の本当の心理は分かりません。
でももし私と同じような考え方で悩んでいる方、動けなくなっている方がいるのであれば様々な誘惑に弱くなってる可能性があるので気をつけてください。
オウム真理教に話が逸れてしまったので戻します。
冒頭で言った通り私は「できること」「やりたいこと」を追いかけ悩み続けていました。
しかし、1年経った今も答えは出ません。
選択肢が多すぎるから。
やりたいことを全てこなせる人、やりたいことの中から決断して前に進める人、迷った時の判断軸を持ってる人ならいいんです。
私と同じように頭の中で情報が拡散してしまう人は答えが出ません。
今からもう1年悩んでもきっと無理でしょう。
そんなことしたら1年どころか一生動けなくなってしまうかもしれません。
ならいっそ悩みの角度を変えてみたら新しい発見があるんじゃないかと思うんです。
のではなく
のはどうでしょうか。
この考え方を閃いた時
「なんか意識低い原動力だな」と思いました。
やりたいこと、好きなことを追求することが正しい生き方という思い込みがある私は違和感を感じました。
正直今も感じています。
でも、人間は皆苦しいことから逃げたいし、楽をしたいし、何もしたくない生き物だと思うんです。
少なくとも私は遺伝子レベルで逃げたいです笑
なのに意識高く生きなきゃってどこかで思ってしまう。
その意識(だけ)の高さで苦しむ人もいます。
そうです。私です。
やりたいことを現実の原動力に出来る人はそのまま進んでください。
以前、フルマラソン前日本記録保持者の設楽選手がインタビューでこんなことを言っていました。
「僕は走るのが嫌いです。」
この言葉を聞くまでマラソン選手は皆走ることが好きでなくとも嫌いではないと思っていました。
ではなぜ走っているのか
「走るのが仕事だから」
と答えていました。
やりたいことという理想が分からなくなり行動しなかった私なんかよりも、嫌いでも仕事だから走り続ける設楽選手は比べ物にならないくらい格好良い。
一見、意識低い考え方に見えるのに格好良い。
具体的な例ではないですがこんな一流の人もいるんです。
やっぱり、生きる原動力って人それぞれ異なるんですよね。
結論、前に進む原動力になれば考え方なんてなんでもいいんだと思います。意識高くても低くても。
先程も言いましたが、人間皆心のどこかで逃げたい、楽をしたい、何もしたくないと思っているはずです。
ならこの逃げたい気持ちを上手く原動力に変えてみる生き方はどうでしょうか。
ここまで長々と書いてきましたが、提案しながらもこの生き方が正しいのか分かりません。
私が私自身に言い聞かせたいことを文章にしているだけなので。
でも、賛同してくれる方が1人でもいて下されば私のこれからの生き方の新しい支えになる気がします。
よろしくお願いします。
ナガタロー
