iPhoneのスケジュール帳に、髙島野十郎展と登録されていた。


過去の自分が将来の自分に申し送りしたものだ。

そこに行ってみろ、と自分が自分に指示していた。


いつ、どこで、そのような備忘録を残したのか覚えていないから、備忘録として、きちんと役割を果たしている。


指示どおり酷暑のなか行動することにした。


髙島野十郎没50年の展覧会は、至宝の絵画の数々だった。


同じ時間を生きているのに、時間の使い方がこんなにも違うことに衝撃を受けた。

自分の人生の価値をあらためて考えさせられる。


髙島野十郎の絵画の数々を前にして、自分の人生などというものは、ほとんど無価値なのではないか、という想いにすらとらわれる。


少し絵を描いたことのある人ならば、これだけの絵を描くために、どれほどの時間が投じられているかがわかる。




田中一村とよく似ている挙動の人だった。


福岡県出身の人が、どうして千葉県の柏なんぞに終のアトリエ(小屋)を構えたのかわからない。


その人生を通じて、働いた証跡がほとんど残されていない。


田中一村は、奄美大島の缶詰工場で何年か働いて生活費を貯めて、制作に没頭することを繰り返していた。


髙島野十郎は、大正時代頃の酒屋の子息は裕福だから、相応の仕送りか支援があったのだろうと思われた。

植物学者の牧野富太郎も確か、高知の酒屋の子息だった。


酒屋の子息は、今も昔も学業に秀でた人物が多く、髙島野十郎は、名古屋大学と東京大学を卒業し、独学で絵描き人生を捧げた。


一流の探究心のある人は、何に取り組んでも一流の成果をあげるものだと溜息が出る。




吉田博や児玉希望の展覧会に行ったときと同じ気持ちになった。

この人にもっと時間を持たせたら、どれだけ素晴らしい作品が制作されたのだろうかと。


無数の人々が人生を営んでいるが、彼らの時間は高潔で美しく、人類の歴史的な価値に繋がるものだ。

彼らにもっと時間を与えて欲しいと願わずにいられない。


しかし、時間というものは、古今東西、全ての人類に平等だ。

だからこそ、彼らの功績は輝かしいのかもしれない。それはまさに、蝋燭の灯のようでもある。


髙島野十郎は、生前、その画業の功績は世に広く知られることはなく、名声に浴することもなく、この世を去った。