かくしてピアノを習い始めたのが幼稚園年長の時。
当時の私から見てもびっくりするぐらい大きな音符(おたまじゃくしと表現していました)のそれはそれは簡単な楽譜からスタートしました。
『ド・ド・ド・ド・レー・・・』と単調に指一本で繰り返すようなリズムに退屈し、ピアノって思っていたよりつまらないものなんだなーというのが第一印象でした。
ただ、母に「絶対に辞めないね?!」と念を押されていたこともあり、週1回のレッスンをつまらないなぁ、と思いながらやりすごしていました。
ほどなくして小学校に入り、ピアノを習っている友達の「どこまで進んでるの?バイエルの何番?」という会話の影響もあり、より真剣にピアノの練習に打ち込むようになりました。
ピアノ以外の習い事が許されなかったこと、また放課後に友達と遊ぶ以外に特段やることもなかったので、私は毎日欠かさず鍵盤を触っていました。
あれは小学校2年生の時だったと思います。
ピアノ教室での発表会のしおりを見ると、私をピアノ教室に誘ってくれた友人よりも後ろに私の名前がありました。
「緊張するから早い順番で終わらせたいのに・・・・」と嘆く私に、友人の母が「上手な子は後ろになるのよ、ほらね、この子だって・・・」と、そのピアノ教室で上手と評判のお姉さんの名前を指さし教えてくれました。
そういわれれば課題曲も私は同い年の友達よりも少し難易度の高い曲になっていることに気づきました。
ピアノ教室の生徒はそれぞれ決まった日時に個別レッスンに来るので、自分と関わらない生徒はたくさんいます。
それら生徒の技量の差を私が知り得なかったことはもちろん、ピアノの先生も母も特段私をのピアノの技量を誉めるようなことはなかったので、そのとき客観的に他人に誉められたことがとっても嬉しかったことを鮮明に覚えています。
今思えば私にとって初めて競争心や人より秀でるものを身に着けたい、と感じるようになったものがピアノだったのかもしれません。
小学校3年頃までは弾きやすいモーツァルトやハイデンを好んでいましたが、やがてベートーベンのダイナミックな世界観に魅了され、
5年の頃には難易度の高いシューベルトやショパンにも挑戦し、それなりに自分の奏でるメロディーに浸っていました。
休み時間に教室のオルガンでさらっと誰かが弾く自分がまだマスターしていない曲を聴けば、こっそり自宅で練習をしたものです。
そこには誰かの強制や義務を押し付けられたという意識は一切なく、ひたすら自分のまだ知らないクラシックの世界を体感してみたい、ただその欲求を渇望していたと思います。
そしてそのためにひたすら鍛錬する、子供ながらも真摯にピアノに向き合っている私がそこにはいました。