幼い当時、母が私を愛してくれている、という実感は残念ながらあまりありませんでした。でも唯一私を認めてくれた、期待してくれた、ということが一つだけあります。
私が幼稚園の友達の間で流行っていたピアノを習いたいと、意を決して申し出た時(事前に兄に相談した際、経済的にも母の性格的にもまず無理だろうと言われていました。もちろん言葉はその当時の子供なりの表現で・・・)、
『絶対にやめないね?!』と母に言われ反射的に
『やめない!!』と答えると、即決で私のピアノ教室通いが認められました。
正直、一度の交渉で済むとは思ってもみなかった私は拍子抜けでした。
今思えば兄達が事前に両親に吹聴していたのかもしれません。
はたまた同じピアノ教室に通わせているママ友たちが強く勧めたのかもしれません。
最も濃厚なのは、当時隣に住んでいた父方の祖母の存在です。
それなりの家柄出身だった祖母はクラシック音楽を嗜み、子供から見ても明らかに母:和子とは異なる淑女の佇まいのおばあちゃんでした。
祖母が愛用していたというヤハマのライトアップピアノは子供らに引き継がれていくところ、産まれた子どもはまさかの4兄弟、誰もピアノに興味を示さず(男の子なら無理もないと思いますが・・・)、宝の持ち腐れになっていたのです。
そんな寂し気なピアノにかくれんぼをしたり、鍵盤をたたいて遊んだり、馴染んでいた私がピアノを習いたいと思い立ったことはとても自然の成り行きだったのかもしれません。
とにもかくにも、当時男の子の間で流行っていた水泳や野球の習い事を兄たちに禁じていた母が、私のピアノ教室を認めてくれたわけです。
幼い頃から身の周りの細々とした事柄すべて母の意向を伺い、実行してきた手前、自ら言い出したピアノ通いを承認してくれたことは、心底嬉しく、やるからには極めたいと当時の私は思いました。
(真実は大人たちの思惑通りだったのかもしれませんが・・・・)