重松清を読み終えるとほとんどいつも、疲労感でも寂寥感でも解放感でもない、もやっとした気持ちよさと陰鬱さに襲われます。それがクセになっちゃってる。
前半を読んでいて、どうもページを繰る手が乗らなかったのはなぜかと考えたら、やっぱり「イイハナシ」の押し付けみたいなのが感じられたから、となるのでしょうか。この人の本を嫌いな人は、多分そういう空気が鼻についたり、逆に『疾走』のような後味の悪さが苦手だったりする人なんじゃないかなぁと思います。しかし、いったんこの「イイハナシ」臭に慣れてしまえばとっても良い。あまり目立たない子や、どちらかというと暗い子がとことん好きになるかなって思う。願わくばそういう人が教員を目指してくれたら嬉しい。……一体誰目線で僕は話しているのか。それは置いといて、重松清は教育学部出てるから、内容も「教育」系が多くて、学校の話なんか書かせたら最強クラスの面白さじゃないかな。僕も教職課程取ってるけど、影響が無いって言ったら嘘になる。
そんな風に、前半はちょっとスローペースで読んでって(実は一週間くらいそこでストップしてた)、昨晩続きから再開したのですが、これは傑作だと、最高の家族モノだと、そのくらい衝撃を受けました。内容にはあまり踏み込みませんが "カウントダウン" でのヤスさんの独白、ここが良い。結婚して子どもが欲しくなる。
話し口調なので「~です、ます」「~だ、である」が混ざっているのは大丈夫なハズ。本当はどうなんでしょうか。統一すべきなのかな。
