不登校… ママから離れたくない! | 生ききるッ

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今って『宇宙的』に時代の大転換期
これからは「人生思い通り」

みんな早く氣付いて幸せになぁれ♪


…と言いつつ
内容は全部自分日記ヾ(≧▽≦)ノ

2度目の相談です。

2度目の…
の後に続く言葉が見つかりませんでした。

そうです、
今私がやっていることは行きがかり上やっていること。
そうしよう!と思って進んでいる訳ではなくて
何となくそこに道が出来ていく感じ。
乗って運ばれている感覚なのです。

私は今度こそ自分の思う幸せになりたい!って思いました。
今までは世のため人のため「善い生き方」をすれば
自然と幸せになれるんだとガムシャラに何でも抱えて潰れた。
神様がいるなら、まず私から幸せになれるはずだと
信じて疑いもしませんでした。
違っていたのですよね、
自分を粗末にして最期まで行けるかと思っていましたが
人生そんなに短くはなく。

引きこもって色んな本を読みあさり
動けるようになるまで動くのをやめた。

読んだ本にあったのです。
無意識が全てを握っていると。
あなたが今幸せでないなら無意識への指示が間違っているのだと。

無意識に正しい指示をして、無意識の力を借りて、
幸せになれるのを待とう、安心感のうちに過ごそう、
そう思いながら過ごしていると
あれほど探していた自分に出来ること、
自分の役割が向こうからやって来るような感覚です。

本で読んだこと、本当なんだなと確認出来てきました。

みんな、この世のほとんどの人が
まだまだ正しい「無意識」の使い方を知らないんだろうなと思います。


それは置いておいて、
2度目の相談でした。
相談というか顔合わせ?
何と言えばいいのでしょう?
不登校ママとは相談という言葉は使ってませんでした。

出逢いはこうです。
不登校のお子さんを抱えるママがある活動団体に相談に行きました。
その団体は主に障がい児の子育てをしているママを支援しています。
子育て支援というくくりにはなりますが
得意分野は障がい児を抱えるママの支援です。
今回の相談は発達障がいはなさそうな不登校ということで
たまたまその団体に「何かしたいが何をしたら良いのか分からない」
と言って話を聞きに飛び込んだ私に
不登校経験者として話を聴いてあげてくれないかとお声が掛かりました。

前回はママが独りで抱えて荷が重いと泣いてばかりいました。
私も一緒にいるから!
お子さんに信頼されるようになって
私がお子さんを見ていくから!あなたを楽にしてあげる!
と元気づけたのでした。

その後メールでやり取りをしていました。
私はいつでも合わせるつもりで待っていましたが
お子さんの気分が乗らないとか、場所の都合とか機会もなくて
何度か話が持ち上がっては消え…年末年始突入。
お休みが明けて団体の活動も始まり、
またそこの開催しているあそびの広場の日となったのでした。

メールで私が行くことを伝えると
行きますと返事があり、親子で来てくれたのでした。

お子さんを除いてママと2人で話す機会も持てました。
前回よりママも少し元気に見えますが
まだまだ大変そうです。
私は早くお子さんを預かれるくらいになりたいと思ってしまいます。

親子で来て、初めはお子さんとママと支援団体のスタッフと私、
4人でしばらく過ごしました。

私は早くお子さんが私に慣れて欲しいという思いで。
ママは誰かに自分の気持ちを聴いて欲しいという思い。
スタッフはママが楽になれるように
お子さんは私が見てるからねという思いでいて。

少しして気付いたのは、
お子さんが私を排除しようとすること。

移動して位置を変えて確認してみました。
どうしてもこの子は私に背を向けるのです。
何でかな?と考えていたら
私がママにも話し掛けていたので多分それが気に入らなかったのです。

親子が帰った後、スタッフの方と話すと
そのお子さん、すごくお母さんから離れたがらなかったねと。
ママの方はそれに疲れてる感じだよねと。

スタッフの方はママとは話してません。
4人で過ごしていたところを見ただけです。
なのに、私がお話を聴いて感じたことに気付いてました。
お子さんを預かれるなら預かりたいと話してました。
お子さんを自分が預かって、
ママが思う存分私に話が出来れば
元気も戻るだろうと考えていたのでした。

私は私独りで何とか!と考えていましたが
2人がかりということも出来るのですね!
仲間がいるっていいな~♪って思いました。

どうやらその子の心境によっては
私はママを奪う人間となってしまうみたいで
残念ながら警戒されることもあると分かりました。

カウンセリングの形式で
親は親、子どもは子ども専門についてる方が見ていてくれて
っていうのがありましたが
まさにそれを今日はしてきた訳で。
考えてみれば前回もなのか。

やっぱり優しい人は増えてるんだな~と実感しました。
まさか自分がこんな形で何かすることになっているとは。
仲間も欲しいなと思っていたのですがふと気付いたらいる!
って感じです。

出来ないことも多いけど出来ることもあるじゃん。

今まで出来てないことに焦っていつも幸せになれてなくて。
でも、でも、
目の前にやって来た出来ること、
無理しないでも出来ること、
それをちょっとずつやってるだけでもいいかも。
何もしてなくても不幸ではないって分かるようになってきた。
無理せず、出来ることだけやるのだって十分だよねって
今は思えるようになってきました。

焦らなくてもいいんですよね。

なんか、何もしてないとそれだけで罪悪感があったように思います。
何かに追われるような生活、人生。
私は一体何に追い込まれていたのだろうか。

知らず知らずに追い込まれた生活の人、
追い込まれて終わった人生の人、多いように感じます。
そろそろみんなが気が付く時期に来てますよね。