こんにちは、なすびです
今日、仕事の用で
コーナーショップ(日本でいうコンビニ)へ。
レジでお店の方の手が空くのを待っていた時
高齢のご婦人が歩行器を押しながら
レジへ行き、品物を置き始めました。
そのご婦人は手の動きもやや不自由な様子で
品物が落ちそうになっていたので
勝手ながらお手伝いを名乗り出ました。
そしてレジの方がご婦人に
「袋は要りますか?」
と聞いていたのですが
強い南アジア訛りがあるだけでなく
声もやや小さく、しかも早口。
彼なりにゆっくりと
繰り返して言ってはみたものの
ご婦人は理解できず。
私がご婦人にお伝えして
ご婦人はやっと理解できました。
そのあとのお金のやり取りの会話も
レジの方とご婦人のみでは難しく
私が間に入らせていただき
無事ご婦人の買い物が終了。
ご婦人は、アクセントから察するに
とてもお育ちがよく、教養のあるイギリス人。
私への
「とっても助かったわ。どうもありがとう。」
のお言葉もとても品がありました。
ご婦人はおそらく地元の方だと思いますが
地元の買い物なのに自国語(英語)が通じず
そこで介入した人(私)も英国人ではない。。。
ご婦人はそこで
憤慨するでも苛立つでもなく
「私の耳が悪いから、聞き取れないの。」
とおっしゃっていましたが
私の言葉は問題なく聞き取れていらっしゃったので
明らかに彼女の耳のせいではありません。
彼女が、多様性社会に順応できている
からこそのお言葉だと私は感じました。
さもなくば彼の訛りに言及していたはずです。
そういえば、私がオーストラリアの
義両親の家にいたとき。
義父が南アジア人の方と電話していて
スピーカー機能を使っていたので
私にも会話が聞こえていました。
会話終了後、義父が
そのアジア人の方の訛りを
猛批判していましたが
私や夫には分かりやすい英語だったので
実は義父は、彼女の訛りよりも
自分の難聴と会話内容の理解
に苦しんだのだと思われます。
でもそこで怒りの矛先が人種に及んだのは
とても残念なことでした。
ちょっと話がそれましたが
その少しの時間の出来事で
多様性社会に生きるとは
どういうことなのかを
考えることができました。