回想
父との同居(大震災翌日)

独り実家のテレビを一晩中つけていた。
被災地が燃えていた。
津波が何度も何度も押し寄せる。
ビデオが同じ光景を何度も何度も繰り返す。
繰り返す数の分だけ、津波の爪痕は増えて行く気がした。

独りでいるのが怖いと思った。

夜が明け、東北道はもとより関越道も通行止めとなっていた。

父の退院は午前中。
このまま通行止めが続いたら、もう少し病院に置いてくれないか頼むか、などと半ば途方にくれながら迎えに行く。
父は身支度を終え、荷物もまとめてすぐにでも病院を出られる状態だった。

医師、看護師に挨拶して、父は退院した。
会計を終え、玄関で待つように勧めたが、駐車場まで荷物を持ちながら、一歩先を歩いた。

歩行もしっかりとし、万一実家に泊まることになっても大丈夫と思った。

幸い実家に戻る頃には関越道が通行可能となっていた。
実家で父は衣類を少し選び、母屋と納屋の戸締まりを私に頼み、さっさと車に乗り込む。

父はこれ以後、この家に住むことはない。