妻の父親と同居歴一年。
主夫として結構楽しい日々。
思い付くままにふりかえる。

最近、台所に立ってみて、自分が案外主夫向きと気づく。
食べるだけの人から洗う人そして作る人と家庭人としてのキャリアが重なり、シンクや調理台が妻色から夫色になってきていることがちょっと嬉しい自分がいる。

いつからだろう。

夫婦の文化は低きに流れると言われるが、我が家の台所運営もそのとおりだった。
ものぐさ亭主と片付け下手の女房、そのお互いの欠点が補い合うこともなく積み重なる。
お互いに仕事を持っていながら何故自分だけ家事に追われるのかと不満な妻。わずかな協力を針小棒大に恩着せがましく言ってきた夫の私。
いつも澱んだ空気が流れていた。

「今日は外食にすっか」

どこで何を食べても、

「それほどでもなかったね」。

それほどでもないのはお前達だ。

こんな中、義父との同居がはじまり、私の主夫登用となった。

何かが少しずつ変わっていく。
何が、と言うほどでもない小さな出来事。

例えば使われない、いただき物の湯呑み茶碗。
既得権よろしく、すぐに手に届く特等席に居座っている。

さあ、お前達は退場だ。

代わって、安っぽく感じるからいやだと妻が言っていたコレールの食器が登用され前へ出る。
改革が始まった。

システム改革にはちょっとした根回しが必要だ。

「これ、いいけどあまり使わないね」。


組織に巣くうならわし。
いくら新しい取り組みを始めても足を引っ張る輩はどこにでもいる。
本人は気づいていないから始末におえない。

「これ、何でこっちに置いてるの」
無造作に元の場所へ。

人のせいではない。
台所や器にに巣くう因習なのだ。