まだまだ、引っぱりますよ・・・ノーベル賞ネタ。

さて、10月9日木曜日の愛媛新聞・・・。

【愛媛新聞2014年10月9日(木)社会(5)】


私がウィキペディアを見た時は、
次のように記載されていたのだが・・・。

1965年 - 愛媛県(大洲?)の小学校から
       兵庫県尼崎市・尼崎市立杭瀬小学校に転入。
1967年 - 尼崎市立杭瀬小学校卒業。

ところが!!
今、ウィキペディアを見てみると、
尼崎市立杭瀬小学校の件が、ばっさりカットされていて、

1967年に大洲市立喜多小学校を卒業[12]。
その後は大洲市立大洲北中学校・愛媛県立大洲高等学校に進む


・・・と、なってました!!
うーーーーん・・・。
ひょっとしたら、ウィキペディアじゃなかったかもーーーーっつ!!!

・・・で、
出典の[12]を見てみると、

愛媛新聞、2014年10月9日、6面。とありまして・・・。

【愛媛新聞2014年10月9日(木)総合(6)】

中央の写真・・・「面影あり」のところに、
「大洲市立喜多小学校を1967年3月に卒業し 記念写真に納まる中村さん」と
記載されている・・・。

ネットの資料・・・、やっぱ、信用しきれねぇ~。

もはや、
ウィキだったか何だったか忘れてしまいましたが
出処の知れないネットのデータを信用した私は、次の通りに、書いてしまいました。

兵庫県の尼崎市の杭瀬で、5~6年過ごされたのだろうか?

コレ(確固たる自己)に、
尼崎の下町パワーが加わったのが、中村先生のパーソナリティだと考えます。

・・・当然、
これらは、誤った推測となります・・・。
新聞等で裏を取ってないのがいけないのですよねぇ・・・。
しかし・・・、この記事を書いた時は、
頼れるネット資料が、ウィキペディアともう一つくらい・・・しかございませんでしたので。あせる
素直に訂正させていただきます。申し訳ございませんでした。
(朝日新聞が、こんな素人みたいなことしてちゃあ、いけませんぜ。)

実を言いますと、
先週の木曜日のことですが、
職場に、大洲高校OBの方がおられて、
中村修二さんの話題になったのです・・・。

その時に、
中村さんが、
尼崎市立杭瀬小学校への転校したという話をしましたところ、
彼は、こう言いました・・・。
「それはおかしいのぉ。お父さんは、四国電力の人やのに転勤なんて・・・。」
・・・確かに、おかしな話です。

・・・ということで、
尼崎市杭瀬のことは、忘れましょう。

ところで、
10月11日の愛媛新聞の第一面にも、
中村修二さんの記事が載っており、
愛媛新聞の単独電話インタビューについて書かれている。
その記事には、
中村修二教授(60)=大洲市出身=」と記載されている。
中村氏は、小学校2年生から高校卒業まで、
大洲で生活されているので、
そのように書かれるのも納得できるのだが・・・。

ところで、
私は、彼が幼少期を伊方で過ごされたことに注視したい。
一番上の記事の・・・伊方町大久に関する記述の部分を拡大します。

私の好きな色は
 青色LEDを開発したからではないでしょうが、
 青です。
 青は、大久の空と海の色。
 それくらい自然が好きなのです。


伊方町大久は、
佐田岬半島の根元から先端に向けて、約3分の2くらいの所に位置する。
私は、現在の伊方町役場からそんなに遠くない場所だろうと思っていたら、
けっこう離れている・・・。

スキャナーがぶっこわれて、地図でお示しできないので、
地図の画像を見たい方は、ご検索願います。

【追記】地図を貼付します・・・。



ところで、
自然を愛した漫画家に、巨匠:手塚治虫先生がいらっしゃる。
彼は、人類による自然破壊を、一切、認めようとはしなかった・・・。
中村氏は幼い頃、
手塚治虫のマンガ『鉄腕アトム』に出てくるお茶の水博士のようになりたくて
科学者になったそうである。
そして、ご自身の好きな色については、
「青は、大久の空と海の色。それくらい自然が好きなのです。」と述べられている。

同じく、幼少のころを、大洲で過ごし、
「大洲が私の原点」とおっしゃる漫画家がいる。
・・・松本零士先生である。
彼のご両親は、大洲のご出身で、肱川藩の武士の家系であった。
太平洋戦争時、お父様は、戦闘機の教官で、
松本零士先生は、お祖母様とお母様といっしょに
大洲の新谷で疎開されていた・・・。
新谷の炭焼き小屋で、戦場から引き揚げてきた父親と
星空を見ながら「飛行機乗り」の話を聞き、
その想像力は、やがて宇宙へと広がって行った。
また、肱川藩士の血を引く・・・お父様の武士道の精神が、
「ハーロック」や『宇宙戦艦ヤマト』の「沖田十三艦長」のモデルになっているとも言われています。
その後、松本零士先生は、『銀河鉄道999』などの作品を作り上げる。
彼もまた、
幼少期、伊方町大久の自然の中で遊びまわっていた中村さんと同様に、
大洲の自然の中で遊び回っていた・・・。

PC Clinic yashima   松本零士と大洲市新谷


やはり、南予の自然には、
ピュアな子供の心に、
「自然の神秘に対する科学的アプローチする精神」?みたいなモノを
植え付けてしまう・・・
そんな何かがあるにちがいない・・・。


愛媛新聞賞受賞時の中村修二氏のインタビュー動画です。
    ↓ 
中村修二教授「夢に向かって勉強を」・愛媛新聞 2012年1月6日


【愛媛新聞10月10日(金)社会(5)】