「老いてお茶を習う」群 ようこ
畳の上に直に正座で痛みを感じた初めての見学からお稽古を始めて約一年のお稽古日記のような本。高齢になってから始めたということで物覚えが悪く反省が多いお稽古という点は同じだなあと思いつつ読みました。言葉を耳にしただけではどんな字なのかイメージできない用語があると気になるところも似ている。バリエーションが多く学ばなくてはならないことが想像を超えて山のようにある世界。他の先生のところでのお稽古の様子が見える本で違いを面白く感じました。茶杓の銘というのは自分で考えるのは同じなんだなあ。群さんと先生や白雪さんのお着物姿を見てみたい。
以下は文中引用など。
すべて決まったとおりにやるのがお稽古。畳の目数などいろんなことが決まっている。
着物を着ていることが大前提の所作なので、着物を着ていないと分からないことが多い。
「(さっきみたお点前を)どうぞやってみてください」と最初言われたときの「ええっ?」という気持ちは私も同じでした。
恥をかくのもお稽古。恥をかくのが嫌という人はお稽古事には向かないかもしれない。→確かに知らないことを教えていただくのですから。
着物は何度着ても完璧と満足したことがない。→私も同じくです。だからこそ着る回数を増やして慣れるように心がけています。
二部式の方が上下分かれているため立ち坐りの動きでの黄崩れが少なさそう。日本舞踊をしている人は二部式襦袢の人が多いらしい。
何かをこぼしたときすぐに拭ける様に手ぬぐいを身につけている著者。私は子どもが小さいころよだれや鼻汁を拭いたりするのに使っていたガーゼハンカチを袂に入れるようにしています。
回数を重ねるしかない と早道を知ろうとすると師匠に言われるというのも似ている。
いったいどういう姿なのかは自分でもわからない。→そういう感覚分かるなあ。先生に指摘していただいて初めて気づくことってあります。