最近、ちょっと試してみたいことがあり、Threadsで私が普段考えていることを、少しずつ発信しています。
仕事のことだったり、ブランドのことだったり、日々の暮らしのことだったり。
わざわざ誰かに話すほどでもないけれど、
自分の中では大事にしていることなんかを、思いつくまま言葉にしています。
その影響もあってか、以前書いたブログも見ていただくことが増えたようで、
ご感想のDMをいただくことも増えました。
Instagramでは、どうしても「Nastrosa」というブランドを通して発信することが多いけれど、
Threadsやブログでは、もう少しその奥にある、私自身が考えていることを書いてみたい。
今回も、そんなところから始まった話です。
ここ数年で、私はかなりの数のブランドものを手放しました。
今、手元に残っているのは、本当に日常的に使っている時計と、
いくつかのジュエリー、それからお財布くらい。
バッグも、もう「これを持っていたらちょっとドヤれるな」
と思うようなものは持っていません。笑
靴はいくつかありますが、ロゴが見えないものばかり。
別に、ブランドが嫌いになったわけではなく
今でも素敵なものを見るのは好きだし、長く使える良いものには、
それだけの理由があると思っています。
ただ、以前とは少しだけ、ものの選び方が変わりました。
「これを持っている私は、どう見えるだろう?」
よりも、
「私は、これを本当に使いたい?」
と考えるようになったのです。
最近、「地位財」という言葉について考える機会がありました。
地位財とは、モノそのものの機能や品質だけではなく、
それを持っていることで得られる社会的な評価や、
他人との比較の中で感じる価値が大きいもののこと。
高級ブランドや高級車、希少なもの、会員資格などが、その代表例です。
そして振り返ってみると、私もきっと、長い間そういうものに憧れ、
ささやかながらも楽しんできたのだと思います。
「いいもの」を持つのが、豊かさだった頃
憧れていたブランドのバッグを買ったとき。
ずっと欲しかった時計を手に入れたとき。
少し背伸びをして、素敵なホテルで食事をしたとき。
もちろん、そのもの自体が好きでした。
でも、そこにはきっと、
「こんなものを持てるようになった自分」
という嬉しさもあったのだと思います。
それは決して悪いことではありません。
むしろ、頑張って働いて、欲しかったものを自分のお金で買えるようになることには、
ちゃんと喜びがあります。
「いつか欲しい」と思っていたものを手に入れる。
それは、自分が歩いてきた道のりを実感することでもあるからです。
ただ、いろいろなものを手に入れて、そして手放してみると、
少し不思議なことに気づきました。
なくなっても、困らないものが意外と多かったのです。
「あんなに欲しかったのに、なくても平気なんだ」
と思うものもありました。
むしろ、ものが減ったことで、自分が本当に好きなものが分かりやすくなった。
今残っている時計やジュエリーは、どれもブランドだから持っているというより、
実際に使い勝手が良く、身につけて気分が上がり、
「この鏡面仕上げとチェーンの太さが最高だよね」
「表面ブラックなのに、中がショッキングピンクの財布って超可愛い」
みたいな理由から持っているものばかりです。
そう考えると、私はブランドそのものを手放したかったわけではなく、
いつの間にか「持っていること」そのものが目的になっていたものに疲れ、
手放したかったのかもしれません。
もちろん、買った瞬間は嬉しい。
ずっと欲しかったものを手に入れた喜びもあるし、箱を開けたときの高揚感もある。
でもその後には、
「せっかく買ったんだから使わなきゃ」
「傷つけないようにしなきゃ」
「高かったんだから、簡単には手放せない」
そんな小さな意識が、少しずつ積み重なっていく。
気がつけば、バッグそのものよりも、「持っていること」について考える時間が増えていました。
そして地位財のようなものには、
「私はこれを持っている」
という自己イメージまでついてくる。
だから手放すということは、単にモノを減らすことではなく、
「こういう自分でいなければ」という小さな義務まで、
一緒に手放すことになることでもあったのだと思います。
ここ数年でブランドものを手放して、一番軽くなったのは、
クローゼットではなく頭の中だったのかもしれません。
今手元に残っている時計やジュエリー、お財布は、
「高かったから」でも「ブランドだから」でもなく、
「これが好きだったから、使っている」
というものばかり。
この違いは、思っていた以上に大きいものでした。
「すごいもの」より「好きなもの」
私は、実はほとんど外食をしません。
アクセサリーの仕事をしていて、百貨店にも出店していて、
いろいろなお店を知っていそうに見えるかもしれないのですが、
普段の食事は家で作ることが多く
出店中のランチも、今ではお弁当がほとんど。
自分で好きなものを買ってきて、好きなように料理する。
そのほうが気楽だし、何より楽しいのです。
でも、そんな私がたまにふらっと行きたくなるのが、立ち飲みのお店だったりします。
これを言うと、けっこうびっくりされます。笑
予定を立てて、予約をして、きちんとした服を着て、というものではなく、
「なんかここ気になる」
と思ったら、ふらっと入ってみる。
一杯飲んで、ちょっと何か食べて、隣のお客さんやお店の雰囲気を眺めて、
「このお店、おもしろいな〜」と思って帰る。
そういう時間のほうが、私にとってはずっと贅沢だったりします。
もちろん、素敵なホテルやレストランも好きです。
でも、「いいところで食事をすること」そのものが、
今の私にとって特別な価値ではなくなってきたのだと思います。
移動手段も少し似ています。
「飛行機に乗ること」などの手段そのものに、私はあまりロマンを感じません。
でも、窓から見える景色は大好きです。
国内の飛行機であれば、大阪湾、淡路島、瀬戸内海。
新幹線なら木曽三川や浜名湖。
普段は地図の上でしか見ないものが、上から見るとひとつにつながって見える。
私が好きなのは、「飛行機に乗る私」ではなく、飛行機に乗ったからこそ見える景色なのだと思います。
電動自転車もそうで、
これに乗って六甲アイランドまで行って、海を眺めたり、新しい道を見つけたり
気になったお店に寄ったりする。
「六甲大橋、自転車で渡れるんだ!」
「運河をエレベーターで渡れるなんて、トリッキーだなあ。笑」
なんて言いながら走っているほうが、今の私にはずっと楽しい。
どうやら私は、誰かから見て「すごいもの」より、自分の世界を少し広げてくれるものが好きみたいです。
Nastrosaが作りたいのは、「地位」ではなく「ときめき」
そんなふうに自分の持ち物や暮らしを見直していくと、
Nastrosaで自分が作っているものについても、改めて考えるようになりました。
私はこれまで、Nastrosaのロゴが入ったものを、ほとんど作ってきませんでした。
例外といえば、昔100個だけ作ったチャームくらい。
アクセサリーをお包みするときに使う巾着袋にはロゴを印刷していますが、これにも理由があります。
お客様が後日その巾着を見て、
「あれ、これどこで買ったっけ?」
と思ったときに、
「あ、Nastrosaだ」
と思い出してもらえたらいいな、と思っているから。
私にとってロゴは、「Nastrosaを持っていることを人に見せるため」のものではなく、
Nastrosaとの時間を思い出してもらうための目印なのです。
だから、商品そのものにブランド名を大きく入れることにも、あまり興味がありません。
私が作りたいのは、
「Nastrosaを持っている自分」を誰かに見せるためのものではなく、
「これ、好き。」と、自分自身がときめくもの。
誰かより上に見えるためでも、羨ましがられるためでもありません。
鏡を見たときに、
「今日これを着けてきてよかった」と思えるもの。
たとえば、いつまでも眺めていられるお花やキャンドルのような
朝、目に入ったときに嬉しい、
ふとした瞬間に眺めて、気持ちがほどける、
そこにあるだけで、自分の暮らしがほんの少し美しくなるような
私がアクセサリーに込めたい「ときめき」も、そんなものに近いのだと思います。
人から見た豊かさから、自分が感じる豊かさへ
地位財を手放したからといって、私は「ブランドなんて意味がない」と思うようになったわけではありません。
今でも、素敵なものは好きです。
いい時計も、ジュエリーも、バッグも、ホテルも。
それらを楽しむことは、これからもあると思います。
ただ、「それを持っている自分がどう見えるか」だけを理由に選ばなくてもよくなった。
それよりも、「私はこれが好き?」「すごいと思われたいから、貴重だからほしいのではない?」
と、自分に聞けるようになった。
誰かと比べなくても、自分が嬉しい。
誰かに価値を説明できなくても、自分には分かる。
そんなものが、少しずつ増えてきました。
思えば、豊かさというものを、私は以前とは違う意味で考えるようになったのかもしれません。
たくさんのものを持っていること。
高価なものを持っていること。
誰かから「素敵ですね」と言ってもらえること。
それも、ひとつの豊かさです。
でも、
好きなものを、自分で選べること。
美味しいものを、美味しいと思えること。
見たい景色を、自分で見に行けること。
何気ない毎日の中に、小さな楽しみを見つけられること。
そして、自分の「好き」を誰かの評価に預けずに大切にできること。
今の私にとっては、こちらのほうがずっと豊かに感じます。
ブランド品を手放して、手元に残ったものは、思っていたよりずっと少なくなりました。
でも、不思議なことに。
暮らしの中の「好きなもの」は、まるで宝物に囲まれた毎日のように
以前よりずっと増えました。
いつまでも眺めていたいお花のように。
身につけるたび、少し嬉しくなるアクセサリーのように。
誰かより上に行くためではなく、
自分の毎日を、ほんの少し好きになるために。
Nastrosaが届けたいのは、そんな小さなときめきです。
「これ、好き。」
その気持ちには、誰かと比べる必要なんてないから。
そして私は、そんな「好き」を、これからも大切にしていきたいと思っています。