Nastrosa♡blog

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リボンとお花のアクセサリーショップ Nastrosa♡店主のブログです。
「好き」を力に変え、自分らしく生きるためのヒントを中心に、
日々の出来事や感じたことを綴っています。

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こんにちは。

前回のブログで「今年最後」とか言っておきながら

先日の寺子屋ゼミでの時間で得た気づきが、とても大きかったので

もう一本書くことにしました。笑

 

普段なかなかお話しする機会のない立場の方から

社会的な話題をお伺いする中で、「自分との和解」というテーマは

思いがけず社会的な回路なのかもしれない、と思ったのです。

 

ゼミの懇親会では、不登校や多国籍児童の話、
「みんないっしょ」でいることに安心を覚える社会の構造、
そこから少しでも外れると、不安や不具合として扱われてしまう現実や

感受性が強い子や、ちょっと「ぶっ飛んだ」子、
平均からはみ出してしまう子ほど、居場所を失いやすいという話を聞きました。


その話を聞きながら私はずっと、自分の中で大切にしてきた

「ときめきは、自分との和解」という言葉を思い出していました。

 

これはもともと、自分の人生経験やアクセサリーブランドを営んでいるなかで
「可愛い」を許していい

「ときめく自分」を、やさしく抱きしめていい

そんなふうに、現代を生きる女性に「ときめき」を通して、自分を抱きしめてあげてくださいね、

という、私の願いが込められています。

 

でも、あの日の話を重ねてみたとき、
このテーマは、個人の可愛さや装いの話、

アクセサリーを通しての自分への許可を超えて
もう少し広い射程を持っているのかもしれない、という感覚が芽生えました。

 

私たちはいつの間にか、
「正解」に揃っていることで安心する社会に生きています。

 

同じペース、同じ選択、同じ価値観。

そこから外れると、なぜか不安になったり、
自分が間違っているような気がしてしまう。

 

それは言い換えると、

「自分と和解できないまま、外側に合わせ続ける社会」
なのかもしれません。

 

 

 

  アクセサリーという、小さな思想の装置

 

 

Nastrosaで私がやってきたことは、
誰かに評価されるためでも、
正解に寄せるためでもなくて
自分の感情を肯定するための「小さな装置」をつくることです。

 

今日は私はこれが好き。
今日、私はこれを身につけたい。
理由はうまく説明できないけれど、なぜか心が動いた。

 

その感覚を、「気のせい」や「間違い」にせず、上機嫌でいることです。

 

アクセサリーは、
その感情をそっと肯定してくれる存在だと思っています。

だから私にとって、アクセサリーづくりは
装いという形をとった思想の実践でもありました。

 

私は、声高に社会問題を語るタイプではありませんが

可愛い、ときめく、好き。

そこから入って、気づいたら
「自分を赦す」
「自分に戻る」
そんな地点に立っている。

 

それが、私のやり方です。

 

でも今思うのは、このアプローチこそが、
どこか息苦しい「みんないっしょじゃないと不安」な世界に対する、
とてもやさしくて、同時に強いカウンターなのかもしれない、ということでした。

 

 

  構造を教えてもらう、という学び

 

 

あの日の学びの場で印象的だったのは、
「何が正しいか」を教えられたというより、
いろんな立場の人から、いろんな世界の「構造」を教えてもらった感覚でした。

 

教育の現場から見える構造や、社会制度の側から見える構造、
当事者として生きる人の視点。

 

それらを重ねていくうちに、
世界は単純に「良い/悪い」では切れないこと、
そして多くの生きづらさは、
個人の問題ではなく、構造の歪みから生まれていることが、
少しずつ立体的に見えてきました。

 

 

 

  思想は、吸収するものではなく、差し込むもの

 

 

「もっと広い目で広めたい」という感覚は、
大きくしたい、拡散したい、という欲求とは少し違います。

 

それは、視座を高めること。
つまり、メタ認知能力のことなのだと思います。

 

私は「これはどういう背景と目的で、ここに在るのか」
という問いを持ちながら生きるのが、昔から好きな人間で、

この感覚をさらに磨いていける場所が、
今の私にとっての寺子屋ゼミでした。

 

この思想は、大人だけのものじゃない。
おしゃれな人だけのものでもない。

生きづらさを感じている人全体に、きっと通じる。
そして、確実に次のフェーズの種がある。

そのことに気づけたような感覚に近いのだと思います。

 

この日は、思想や学問を重ねてこられた先輩方と

うまく話せるかどうかとても緊張しながら伺いましたが

「私の思いは、もっと遠くまで届きうるのかも」

そんな感覚を持ち帰った一日でした。