Nastrosa♡blog

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リボンとお花のアクセサリーショップ Nastrosa♡店主のブログです。
「好き」を力に変え、自分らしく生きるためのヒントを中心に、
日々の出来事や感じたことを綴っています。

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あけましておめでとうございます。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

去年12月に書いた4本のブログをきっかけに、
自分のこれまでを少し引いた視点で眺めてみたら、
思わず笑ってしまうことに気づきました。

 

これ、卒論の伏線回収なのでは?
しかも、まあまあ壮大な形で。

 

新年1つめのブログは、個人的初笑いということで

こちらのお話をお届けしますね。

 

 

  タイトルだけは一丁前だった、あの卒業論文

私は大学時代、
「現代社会における美意識の変化」というテーマで卒業論文を書いていました。

今振り返ると、なかなか立派なタイトルです。


当時の私は、なぜ人は「ちゃんとしている」ほど、どこか息苦しそうに見えるのか、

その違和感をどうにか言葉にしたかったのだと思います。

外側の型や正しさに合わせることで、安心は得られる。
でも同時に、自分の感覚から少しずつ離れていくような感じがある。
そのズレが、なぜ生まれるのか。

 

当時、話題だったマナー教室やプロトコールサロンなどに焦点を当てて

資料を集め、理論を読み、グレース・ケリーについて書かれた文献を必死に訳したりしながら

その当時の私の結論は

「ハリボテより、自分の感覚を大切にしましょう(なんちゅう暴言)」でした。

どうにか卒業はさせてもらえました。


でも、正直に言えば、「書き切った」という感覚はありませんでした。

問いは立てたけれど、その自分の感覚ってなんだよという答えまでは辿り着けなかった。
そんな感触を残したまま、大学を卒業した記憶があります。

 

 

  まさかの社会実装ルートに入っていた

その後、紆余曲折があり

大学を卒業した5年後に私はアクセサリーを作る仕事を自ら始めました。

この時点ではもちろん、「卒論の続きを社会実装しよう」などとは一切考えていません。

 

可愛いものが好きで、作るのが楽しくて、
それを喜んで身につけてくれる人がいるのが嬉しかった。

ただ、それだけです。

 

…のはずだったのに、
前回の「頑張って正解を探す人ほど、自分と和解できなくなる話」を

公開した後に、気づいてしまいました。

 

大学時代の私は、
「外側の正解に合わせすぎると、なぜ人は苦しくなるのか」
を考えていた。

 

そして今の私は、

・理由は説明できなくていい
・「今日はこれが好き」で選んでいい
・自分の感覚を、一度信じてみていい

そんな行為を、アクセサリーという形で日常に差し込んでいる。

……あれ?


これ、やっていること、ずっと同じでは?

卒論で考えていた問いに対して、
理論ではなく、実践で答えてきただけなのでは?
と、ここで初めて気づいたのです。

 

 

  8万字書いてもまだ足りなかった

さらに笑ってしまったのは、その後でした。

私はこれまで「好き」を力に変える働き方、というテーマで
ブログを40本以上書いてきました。

 

私のブログは、1本あたり約2000字。

単純計算で、8万字。

8万字書いたところで伏線回収にようやく気づいた。笑

よほど言いたいことがあったのでしょう。

 

大学時代は卒論という形で言い切れず、
社会に出てからはアクセサリーを制作して実装し、
それでも足りずにブログで延々と補足説明まで続けています。

 

そして最近、さらには恩師の寺子屋ゼミに戻って
「この思想、そろそろ論理的な背骨が欲しいな」
と思い始めているのですから、しつこい!笑

 

しかも、「あれ?これ、社会的な接続もできるかもしれないな」
などと、うっかり思い出しているのです。

 

そう、振り出しに戻ってるのです。笑

 

  執念すら感じる伏線回収

 

ここまで来ると、もはや計画的なキャリア設計とは言えません。


ブレていたわけでも、迷走していたわけでもなく、
ただずっと同じ問いのまわりを、
視点や表現を変えながら回り続けていただけでした。

 

よくもまあ、ここまでいろんな作品や文章で
同じ問いを繰り返してきたものだなと、
気づいたときには思わず笑ってしまいました。

 

そう考えると、これまでやってきたことが少しだけ整理されます。
卒論で考えていたことと、今やっていること。
それは途切れていたのではなく、
形を変えながら、ずっと続いていただけだったのだと。

 

アクセサリーを通して、
誰かが自分の感覚を信じるきっかけが生まれること。
その人が、ほんの少し自分の本心と仲良くできること。
それを祈りながら社会実装していたのだとしたら、
丁寧で誠実な伏線回収をしてきたようにも感じます。

 

こうして振り返ると、
私はずいぶん長い時間、同じ問いと遊んできたようです。


正解を探すのをやめて、自分の感覚を信じてみる。
それをアクセサリーや言葉に変えながら、
気づけば15年が経っていました。

 

壮大な計画があったわけでもなく、
ただ「これ、好きだな」「これは少し違和感があるな」
そんな小さな感覚を、大切にしてきただけ。

 

でも、その積み重ねが、
ちゃんと社会とつながっていたのだと気づけたことは、
新年早々、ちょっと嬉しい発見でした。

 

今年もまた、問いを抱えたまま、手を動かしながら、
ゆっくりと皆様にときめきをお届けしていけたらと思っています。

 

本年もどうぞよろしくお願いいたします♡