子供の言葉、大人の味覚 -38ページ目

子供の言葉、大人の味覚

なすこんのブログ

言葉の森 作文教室 柏の葉公園教室、作品より)


子供の言葉、大人の味覚

 この長文の要約は次のとおりです。欧米のリンゴは大衆の中で育ち、小玉でも概観が悪くても、味がよければよしとするポリシーで今日に至っています。それに対し、日本の場合はぜいたく品として出発し、ひたすら外観重視の「高級化」の道を歩いてきました。日本はきめ細かな技術をリンゴをおいしくするためではなく、ひたすら美しく色づかせる目的で開発しました。料理を目でも食べることが身についている日本人にとって、より美しい果物を食べたいというのは国民性と言えるかもしれません。

 私も日本人は食べ物、とくに果物の見た目を気にするなあと思います。日本のスーパーに行くと、果物はていねいにかごに積んであり、明るく見えるように上から電気が光っています。それに見ばえのかんぺきな果物だけが選んであり、全部ある程度同じ大きさです。たとえば、日本のバナナはまっ黄色でしかも、長さ二十センチぐらいあります。おいしいといえばおいしいですが、ハワイのバナナの方がおいしかったです。ハワイのバナナは一つ一つが十五センチくらいしかないし、たくさんの茶色いところがあるけれど、味は日本のバナナより数倍甘いです。
 見た目が気にされているのは食べ物だけではありません。デパートなどに行くと、買ったものは全部、それを買ったお店やサービスカウンターで包装紙でていねいに、まるでバースデープレゼントみたいにしてくれます。この前、ユニクロに行った時、レジのところでたくさんの人が待っていたのに、お客さんが買った服をていねいにたたんで、紙袋に入れて、四センチくらいのユニクロのロゴが書いてある黒いシールで袋の開いているところのまんなかにはって閉じていました。

 もしも、わたしがりんごだったら、真っ赤でまずいよりも、うすい緑色であまい方がうれしいと思います。バナナもまっ黄色で大きくてまあまあおいしいよりは、ハワイの小さな甘いバナナの方がいいです。プレゼントをもらうとしても、安くて使い物にならないものがていねいに包そうされているよりは、ふつうの袋に入っているけど、使いごこちのいい良いものの方がいいです。

 山高きが故に貴からずというように、リンゴやバナナや買ったものの見かけが立派だからといって貴いのではないということがわかりました。人間は、とくに日本人は、見かけにこだわるけど、本当に立派じゃないといけないのは中身なんだなと思いました。私も外側は真っ赤でなくても中身は他に負けないリンゴのような人になりたいです。

合格教室の後で
一本筋の通ったすばらしい感想文です。やったね!
 
 
言葉の森 作文教室柏の葉公園教室、作品より)

 私は二年ほど前にすごくふわふわしてうす茶色のうさぎをかいました。私はうす茶色のふわふわしているウサギを「チャウダー」と名づけました。毎日、毎日ウサギ小屋をきれいにそうじするのはとてもたいへんだったけど、まるで家ぞくが一人ふえたみたいでした。私はときどきチャウダーにサラダを作りました。チャウダーはやさいが好きだったので、きゅうり、にんじん、セロリーなどのやさいを入れたサラダを作りました。チャウダーはとてもうれしそうに食べてくれるので私はうれしくなるのでした。


 お母さんも何かをかってとてもうれしく、しあわせになった気分をあじわったことがあるそうです。お母さんはずっと前、のらねこをつかまえて家に持ってきたのですが、お母さんのお父さんが
「ねこはかってはいけない!」
って言ったんですが、お母さんはねこをにがしたくなかったので、ひみつでお母さんの弟といっしょにねこをかっていました。最初はうまくいってたらしいのですが、やっぱりお母さんのお父さんに見つかってしまいました。でも、お母さんのお父さんはねこをすごく大事にしているのを見て、しかたなくねこをかうことにしました。黒くてやせているねこをお母さんたちは「ゆめちゃん」と名づけました。


 お父さんはお母さんや私みたいに大きな生き物はかったことはないけれど、カブトムシていどならかったことがあるそうです。カブトムシをかうのはそんなにたいへんではありません。毎日、ゼリーをあけて食べさせるだけです。でもそれだけでも、おもしろいと私は思います。

 人によってかう生き物はちがうけど、小屋をきれいにするなどはいやでも、うさぎをかうなどはおもしろいなと思いました。私は今は官舎に住んでいるから何も生き物はかっていないけど、こん虫などは官舎でもかっていいことになっているので、春はとんぼ、夏はカブトムシ、秋はカマキリそして一年中、金魚をかっています。いまはカマキリも金魚もいっしょうけんめい冬を過ごしています。


子供の言葉、大人の味覚


合格教室のあとで

 生き物を飼うのは楽しいね。「まるで家族が一人ふえたみたい」がすてきです(^_^) うさぎさん用のサラダがおいしそう。



なすこん(言葉の森 作文教室 柏の葉公園教室、作品より)
子供の言葉、大人の味覚
この長文の要約は次のとおりです。筆者の家の前は、都内にしてはめずらしく、ほそうされておらず、道ばたには草が生えていた。翌春、家の前にスミレが咲いて、とてもよろこんだ。ところがある日、外出から帰ってくると、スミレがない。清潔好きのおばあちゃんが、以前、その場所の野の花をきれいだと言っていたのに、草むしりをしたときに抜いてしまったのだ。数年たって下水工事が始まってしまった。それ以来、その路地は地球のかけらではなくなってしまった。町中の雑草に対する人間の態度は時と場合による。ハイキングに行けば
「緑がいっぱいで気持ちがいいわねえ。」
と喜ぶ人も、自分の庭に出てきた雑草は血眼で引き抜いてしまう。

 私も雑草を雑草であるという理由だけで抜いてしまったりするのは気に入りません。田舎に住んでいたときは、よく「雑草」を使っていました。五、六歳のときまでは、雑草をシャベルでこまかくきって、水の入ったバケツに入れて、スープを妹や友達とつくるのが好きでした。庭のうらはしばふの道みたいなのがあり、そのおくには溶岩の石ころがフェンスとして摘んでありました。その上をはだしで歩くとちくちくしましたが、くつをはく気にはならなかったのでいつも、
「いた! いた! いて!」
と他の子供達とさけんでいました。石の間にはビー玉や貝がらがたくさん落ちていて、探すのが楽しかったです。所々に木が生えていて、私達はそれをのぼって枝からぶらさがるのもおもしろかったです。溶岩のフェンスをたどっていくと、竹やぶがありました。一本一本の竹の間は五センチくらいしかなかったので、古くて落ちた竹の上をバランスをとりながら歩いていかないと竹から落ちて足が竹と竹の間に落ちてしまって、どろとカナヘビなどに足がおおわれてしまいます。竹やぶの右には大きくて長い葉っぱの木があり、その葉っぱにしがみついてまるでターザンみたいに空中を飛ぶのも楽しかったです。

 私がいま住んでいるところで自然が多いのは柏の葉公園です。池や林などがあり、夏にはトンボやセミをつかまえに行きます。しかし、ちゃんと整備されているので、何か違います。本当の自然は地球しか作れないんだと思います。

 蓼食う虫も好き好きというように、人によって好みはちがいます。蓼にいいところはあるし、雑草にもいいところがたくさんあります。人間には清潔な環境を保つことが必要ですが、人間も自然の一部だということを忘れてはいけないと思います。時代が進むにつれ、地球のかけらはどんどん小さくなっています。私が大人になっても、なくなっていないように自然を大切にしていかないといけないと改めて思いました。

合格教室の後で
「人間には清潔な環境を保つことが必要ですが、人間も自然の一部だということを忘れてはいけない」が印象的。まさにそのとおり。