子供の言葉、大人の味覚 -18ページ目

子供の言葉、大人の味覚

なすこんのブログ

言葉の森  柏の葉公園教室、作品より)

合格ひとこと
 最後の「私たちの人生は~」の名言は、自分の論理の補強にはなってような気がしますが^^ゞ
 まあ、良いです。かたちから入りましょう。そのうち、中身も伴います。

子供の言葉、大人の味覚


 この長文の要約は次のとおりです。今、日常的に使われる「ただいま現在」というは、「予定された未来」を指す。しかし、本来の未来と言うのは何が起こるかわからない、「ああすればこうなる」で約束されていない時間のことである。しかし、母親達は子どもが育ち始めるとその子をどの幼稚園に、どの小学校、中学校、高校、さらにどの大学のどの学部へ行かそうかと考える。こうして現代社会の未来は、ただちに拘束され、急速に失われていく。私未来の準備のために生きるのではなく、今この瞬間を大切に生きることがよいと思う。
 その理由は「今」は一回しか生きれないからだ。私が小学生のとき、クラスに5,6人受験生がいた。その人たちはいい中学校に入るため、ほぼ毎日、夜遅くまで塾に行っていた。いちばん仲のいい子は夜10時まで塾に行っていて、授業中は
「学校でやる内容は簡単すぎだから」
と言い、別のことをやっていた。それでいつも、
「もううち塾やだあ、毎日勉強ばっかりして。」
と文句を言っていた。学校の後
「遊ぼうよ!」
とさそっても
「今日、うち塾だから。」
「今日、うち勉強。」
と言っていて、あまり遊べなかった。私が思うには、小学校の時から夜遅くまで塾に行って、学校の授業がつまらないのであれば、ものすごい時間の無駄だ。しかも、小学校でしかできないことは、けっこうたくさんある。その子が勉強している間、他の子は公園で友だちと鬼ごっこをしたり、冬に雪の中を遊びながら学校に言っていたら遅刻しそうになったりと、いろいろなことをしている。中学校になるとわざわざ公園へ行って鬼ごっこをしたり道端で雪を転がして遊ぶのはなかなか難しいと思う。
 確かに目標を持って未来へ進むのは大切だし、勉強はやらないと大人になってから、やりたいことができなくなるかもしれないが、「私たちの人生は私たちが費やしただけの価値がある」という明言があるように、勉強ばかりではなく、その時、その時を精一杯生きていくことが自分らしい人生を作るのだと思う
言葉の森  柏の葉公園教室、作品より)

合格ひとこと
 「魔法のかかった公園」の幻想的な様子、「あのときは風がスーッとしていてとても気持ちよくて」の清涼感がすばらしいです。小学校6年生でも、こんなふうに昔を懐かしむんですね。


子供の言葉、大人の味覚

「登ろう!」
みんなでいっせいに木に登り始めた。
 私は昔、アメリカに住んでいた。私が住んでいた家の近くに大きく、とても広い公園があった。私はその公園がとても好きだった。それはまるで魔法がかかったような公園だったからだ。トンネルのようなものを抜けると広い芝生にとても大きな木が一本あり、不思議な形をしていて、一年生だった私でもとても登りやすかった。日本にもそのようなすばらしい木はあるのだろうか?と私は時々思う。トンネルの反対側から出ると、とてもきれいなバラがたくさんあるバラ園に出て、とても気持ちがよくなる。芝生がある方に出ると一本の太い大きな木があり、そこで私の友だち5人~7人ぐらいで木登りをした。今でもその楽しさを忘れられない。またアメリカにもどって私が登った木にもう一度だけ登ってみたいと思う。
 私は違う木にも登ったことがある。その木は私が今住んでいる宿舎のとなりの公園、一号近隣公園にある。のぼるのがとても簡単な木が2本あり、二年生のころに友だちとお家ごっこをし、一本の木は友だちの家で、もう一本の木は私の家として遊んでいた。父が時々からかって
「猿、猿。」
などと行ったこともある。それは私がまだ小さく、猿みたいに木の枝からピョン、ピョンと色々なところへサルみたいに行ったり来たりしてたからだ。あの時はとても楽しくて風がスーッとしていて、とても気持ちが良かったのを今でも覚えている。私はもしタイムスリップができるとしたら、その木に登った幼稚園の年長のころか、一年生のころにもどってみたい。
 人間は子どものころ、身体感覚を通して、世界を見ようとする。フェンスがあれば登りたくなるし、鳥を見たら空を飛びたくなる。木登りもその一つだ。子供のときに色々なことをしなければ、井戸の中の蛙大海をしらずというように、何も分からない大人になってしまうだろう。
 私はあのときみんあでいっせいに木に登ったことの楽しさはいつまでも忘れないだろう。
言葉の森  柏の葉公園教室、作品より)

合格ひとこと
 持久走、よっぽど苦手なのね。よおく分かりました^^

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子供の言葉、大人の味覚

 12月6日にじきゅう走大会があります。そのためのじゅんびをしています。この作文の内ようは全校がそのれんしゅうをしているところです。
 二年生はのびのびタイムの時にやります。天気はくもりでとてもさむかったです。だけど、なぜかおわったときはとてもあつかったです。あせをかきすぎたなって思いました。
「もう駄目。」
と心の中でも、ひとりごととしてなんかいも言いました。校ていで先生が
「とまるな! 歩くな! はしって! とまるな! 歩くな! はしって!」
としんけんな顔で言っていたから、とまりたくなってもはしりました。
 10しゅうはしりました。とてもきついと思いました。あとからはれました。そしたら、きゅうに元気が出たからざんねんと思いました。きつかったです。はやく12月6日になって、やめたいです。もうやりたくないです。