2年前の今日、子宮頸管無力症による切迫早産で緊急入院をしました。
状態は胎胞脱出、膣から赤ちゃんの袋が見えていて、いつ破水しても、いつ陣痛が来て出産してもおかしくない状態でした。お腹の子の命は五分五分と覚悟してくださいと言われ、生きたまま出産し、その場で息絶えるのを待つことも覚悟しなければなりませんでした。

24週で救命してもらえても、残る障害リスクは50%以上。


私の長い長い闘いが2年前の今日、始まりました。


絶望と不安
点滴との闘い、副作用、筋力の低下、色々ありました。点滴のルート確保が難しくなり、2週間持つと言われたPIカテーテルも2日で駄目になり、産科ではやらないと言われたCVカテーテルを導入。

膝下の下半身が真っ赤になったり、心臓が苦しくて耐えられなかったり、70日間尿道カテーテルつけ、シャワーも浴びれず(もちろん洗顔もNG)、絶対安静に近い状態でただただ病院の天井を見上げることしか出来なかった生活は90日間に及びました(それプラス産後7日間入院)。


あのとき自ら妊娠継続を諦める選択をしたほうが良いのではないか、と中絶する選択肢を本当に考えていました。



何度口に出して相談しようかと悩みました。




諦めたほうが楽だから
これから歩むだろう苦難の道を乗り越えれる自信がなかったから
私のせいでお腹の子に障害が残ってしまったら、正気ではいられない



今はまだあのとき諦めなくて良かったと思えるような状態ではありません。

発達がかなり遅れているからです。

詳細が決まり次第記事にするつもりですが、恐らく療育へ通うことになると思われます。

早産になったこと、
出産のとき主治医が帝王切開を勧めたのに、私が経膣分娩をしたいと強く希望したために息子は胎児機能不全となり緊急帝王切開となりました。
夜間につき15分の待機時間がありました。

これらのことが今後成長するにつれて、どのような影響を及ぼすか、何も及ぼさないか、成長を見ていかないと分からない。そして、もし何かしらの障害があるとなった場合、出産時のが原因なのか、生まれ持った障害なのかは判別不能という説明を受けています。



息子はかなり発達が遅れています。

本当に、本当に、心配しています。

本当に、本当に、あのときの選択を後悔しています。

なぜ経膣分娩をしたいというワガママを通したのか(早産に関してはやれることはやり切ったと、息子の命を守りきったと思っているので、その点についてはあまり後悔はありません。もともと救命できない可能性が高いと説明を受けていたので。)

主治医の言うとおり帝王切開にしておけば、少なからず胎児機能不全となり待機時間が発生するというような状態にはならなかった

最初から帝王切開にしておけば、発達に問題が生じるようなことはなかったかもしれない


後悔してもしきれない、やり場のない思いがいつも私の胸のなかに支配しています。



いつの日か、息子を産んで良かったと思える日が来ることを願っています。




  








入院中この3曲に励まされ、90日の安静を頑張りました。

産後7日間含め97日間の闘いの始まりは、昨日の出来事のように感じます。

決して遠い日の思い出ではありません。

気持ちの整理が付いたとき、思い出として浄化されるのでしょうね。

今は息子に申し訳なく、後悔しかありません。




↑よく聞いていたのはこちら

ONE OK ROCK 

↑日本語訳あり



WANIMA