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現実世界とは一切何の関係もありません。理解できない方は閲覧禁止。

驚くことににのみやさん誕生日のお話です。良い一年になりますように。

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雨が好きだ。
いや、雨の日のバイトが好きだ。
あの人に会えるから。

俺は駅前のコンビニでバイトしている。大学が終わって19時から23時までの週4日。サークルもしてないし飲みに行ったりもそんなにしないから、この時間のバイトはちょうど良い。俺のゴールデンタイム(オンラインゲームが賑わう時間)は真夜中だし。
店の立地的に、電車が着くたびにたくさんの人が流れ込んでくるから、結構忙しい。レジ打って弁当温めてちょっと空いた時間で商品整理して、そんな感じだから、あまり客の顔を覚える余裕もない。けれどその人だけは違った。

最初にその人を認識したのは、春の初めだった。そろそろバイトが終わる時間になって雨が降り出した。そんな予報ではなかったし、傘なんて持っていない。ついてないな、ビニ傘買うのももったいないし、走って帰ろうかな、なんて考えながらレジに突っ立っていた。その瞬間、自動ドアが開いて、その人が走り込んできた。電車と電車の間の時間で、他に客はいなかった。その人は、栗色より濃く染まった茶髪の先から雫をポタポタと散らして、白いワイシャツは透けて肌に張り付いていた。なぜかその姿から目を離せなくて、彼が入口横に並んでいる傘を掴んで俺の方へ向かってくるのをずっと凝視していた。

「これ、お願いします」
ずずっと鼻を啜りながら差し出された傘にハッとなり、慌てて会計をする。
「660円です」
財布から小銭がトレイに置かれて、それを受け取った瞬間、小さなクシャミが静かな店中に響いた。
「クシュン!」
えーかわいい、ではなく。俺は急いで彼に話しかけた。
「ちょっと待っててください」
「え?」
ポカンとしたその人を置いてスタッフルームに走った。ロッカーに置いたままにしていたパーカーを引っ掴んで、また走ってレジに戻る。
「あの、これ、使ってください」
「え?でも」
「あ、多分一回着てるんですけど、汚れてはないと思うんで。臭くもないし」
「いや、そんなことは気にしないんだけど」
「そのままじゃ風邪ひいちゃうんで」
戸惑う彼の手元にパーカーを押し付ける。彼は戸惑ったまま、それでもそれを受け取ってくれた。
「……ありがとう」
そう言ってくしゃっと笑った顔は、ひまわりみたいだった。

次の日、昨日と同じ時間にその人がやってきた。
「あ、良かった、いてくれた」
昨日と同じひまわりの笑顔で彼が笑う。
「これ、ありがとう」
どこかの量販店の袋には、貸したパーカーがきちんと畳まれて入っていた。
「あの、無理やり渡してしまってすいませんでした」
あのあと、なんであんなに強引にことを進めてしまったんだろうと反省した。そんなタイプの人間でもないのに。なぜかこの人を大切にしたいと思ったのだ。
そんな俺の言葉に彼は、いえいえと手を横に振った。
「ううん、助かりました。まだ家までちょっとあったし」
「なら良かったです」
役に立てたことにほっとしてやっと笑えた。彼も笑顔でもう一度ありがとうと言った。
「ね、にのみやくん?」
「あ、はい」
名札を指差しながら確認された名前に頷く。
「にのみやくんはいつもこの時間なの?」
「時間は大体この時間です。人が足りないときは違うときもありますけど。曜日はまちまちです」
「そっかあ」
考えるような素振りに首を傾げたとき、彼の後ろにレジ待ちの人が並んだ。
あ、と言って彼は横に避けて、そして俺に「またね」と手を振って出ていってしまった。

「いらっしゃいませ、お待たせしました」
レジを打ちながら考える。またね、ってことはまた来てくれるのかな。彼はどうしてまたね、なんて言ったんだろう。俺はどうしてこんなこと考えてるんだろう。俺はまた来てほしいのかな。あ、名前……聞けなかったな。

それから一週間が経って、また雨が降った日、その人はやってきた。今回はちゃんと傘を差して。
「こんばんは」
レジ台にコツンとサイダーのペットボトルを置いて、彼は笑った。
「あ、こんばんは」
つられて俺も挨拶を返す。ピッとレジを通している間も、彼はにこにこ話し掛けてくる。
「あったかくなってきたねー」
「そうですね」
「にのみやくんは雨好き?」
「いや、どうだろ……」

「129円です」
「はい、」
握りしめられていた小銭を渡される時、少しだけ手が触れた。それは熱くて、でも彼か、俺か、どちらが熱かったんだろう。
「ありがとうございましたー」
定型の挨拶を返しながら、手を振る彼に小さく会釈した。

……また会えた。
なんて。
駅前のコンビニなんだから、毎日来る客もたくさんいる。また来たんだと思うことはあっても、また来てくれたんだなんて思ったことはない。あの人だけ。
また、来てくれるかな……

俺の揺れる心とは裏腹に、彼は頻繁に通ってくるようになった。レジ打ちの間、数分だけの会話だけれど、少しずつ彼のことを知っていく。


社会人2年目の会社員。仕事はわりと忙しい。少し先のアパートに住んでいる。天気が良い日は一駅先まで歩いたり、休みの日は走ったり、つまり体を動かすのが好き。名前はあいばまさき。会計時にたまたま見えた社員証をガン見してたら教えてくれた。「珍しい名字でしょ」なんて言って。華奢に見えて意外と筋肉質。届いた在庫の移動に手間取っていたら、ひょいと代わりに持ち上げてくれた。こんなの軽いよって。黙って商品を選んでいるときの真面目な横顔は絵画みたいに整っている。けれど入店して俺を見つけてくれたときの笑顔は、あの日に見たひまわりのままで。俺もつられて笑ってしまう。

そして何より優しい。優しくされた、とか特別のエピソードがあるわけではないけれど、纏う空気が優しいのだ。ふんわりと甘くて、でもどこか突風のような清涼感もあって。彼に会うたび、春の夜の桜を思い出す。

 

それはあの日の帰り道に見た、風に舞う花びらに似ていた。