――「古今和歌集 仮名序」(紀貫之) ウィキソースより引用――

やまとうたは、人のこゝろをたねとして、よろづのことのはとぞなれりける。(中略)をとこをむなのなかをもやはらげ、たけきものゝふのこゝろをもなぐさむるはうたなり。

――引用終わり――

 

正岡子規は、古今集と貫之を酷評したが、私は仮名序が好きだ。

 

ところで、平安貴族は、短歌という韻文で恋文を書いた、らしい。現代は、文学にしろ手紙にしろ、散文が主流だ。平安貴族は、たった三十一文字で、何を表現し何を伝えることができたのであろうか。

 

和歌には、長歌というものもあるが、平安時代において実際に多く詠まれたのは、短歌であった。この短歌における三十一文字という字数は、文芸的観点からその字数になったのであろうか、はたまた字数制限的な制約としてその字数になったのであろうか。こたえはおそらく両方であろう。

 

実際に、五・七・五・七・七という韻律は、とても美しいものである。この韻律の美しさが、恋文としても適当であったようにも思われる。また、長い散文は直接的具体的な表現がしやすいが、短歌という韻文としても非常に短く制限された詩によって、「淡い」感情表現を表すことができ、それが恋文としても適していたのではないだろうか。

 

いずれにせよ、われわれは、文芸的創作活動においても、手紙や日記においても、文章の長さとその効果というものを、考慮すべきであろう。