私は21才で看護師になりました。


「ハードなほうへ進む」

なぜかそう思っていた若い頃。


社会の荒波に揉まれようと、

厳しいと評判の職場を希望しました。


県外の大きな大学病院。


新卒で配属されたのは、

「天国にいちばん近い病棟」

と言われていた部署でした。

末期の患者さんが多かったためでした。



そこには、白血病をはじめとする

血液疾患の患者さんが多くいて、

他、

消化器疾患や、自己免疫性疾患の患者さんが

いました。


記憶は薄れていっていますが、

印象に残っている患者さんが何人かいます。



ふと、

このブログで綴ってみようと思いたったので

綴っていくことにします。



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私の受け持ち患者さん、Kさん。


30代前半の男性。

端正な顔立ちで背も高く、

硬派なモテ男といった感じで、

まだ新人看護師の私にも

優しく話しかけてくれる方でした。


Kさんには、まだ幼いこどもさんが一人いました。

奥様はショートカットで化粧っけがなく、

気さくな可愛らしい方でした。


お見舞いに来る時はリュックを背負い、

パンツ姿だった印象が残っています。


イケメンKさんは急性骨髄性白血病でした。


抗がん剤や放射線治療をしたのち、

骨髄移植を受けました。 


辛い治療を乗り越えいったん退院されましたが、

のちに再発しました。


再発後の治療はあまりうまくいかず、

Kさんは個室でひとり、病と闘いました。


しかし、病状は深刻でした。



まだ若く、新米看護師だった私は、

Kさんにどのように接したらいいか

わかりませんでした。



ある日、Kさんの病室に入った時、

ちょっとした雑談をしました。


Kさんは、自分がいなくなったあとの

奥さんのことを案じていました。


「ひとりならまだしも、コブつきでなぁ。。」



コブ。

つまり、まだ幼い息子さんのことです。



Kさんは、もちろん息子さんを

大事にされていましたが、

未亡人になるであろう

奥様のことを心配されていました。


こどもがいなければ、自分がいなくなっても

すぐ再婚できるだろうに、

こどもがいたのではそれも難しいだろう、と

そんなことを言っていた気がします。



まだ若かった私。

その気持ちを十分くみとったとは思えません。


ただ、その一言がずしりと重く、

何と言葉を返していいかわからず、

何も言えなかった自分がいたことだけ

ずっと、ずっと、覚えています。



薄暗く、無機質な病室で。


その後、Kさんは

私たちスタッフに何も話さなくなりました。



自力でトイレに行けなくなり、

ベッドサイドで尿器を使用し始めました。


だいぶん体がしんどかったのでしょう。


尿器にとるのを失敗したのか、

手がすべったのか、

床に尿が漏れていたことがありました。


それをナースコールで知らせてくれたKさん。


訪室して声をかけましたが、

Kさんは無言でした。


私は状況を把握し、黙って床の尿を拭き取り、

尿器をキレイに戻しました。


そんなことが続きました。


自分が死にゆくことを認めながら、

闘い続けたKさん。



私が地元に帰省していた時に

Kさんは亡くなり、それっきりです。




あの頃の息子さんは、

今、元気で暮らしているでしょうか。


もう25年ほど前のことなので、

30才近くになっているのでしょうか。



奥さんも息子さんも、

元気に、幸せにいてくればいいなと思います。




看護師としてまだ半人前だった私に、

優しく話しかけてくれていたKさん。


ありがとうございました。


生まれ変わって、

どこかでお会いできているでしょうか。


それとも、遠いどこかで

また新しい人生を送られているでしょうか。



「良い看護師とは」

を考えさせてくれたKさん。



私の大切な、大切な人です。


今でも、

背の高かったKさんが入院されてきた頃、

ナースステーションの前に来て、

体重を測っていた姿を思い出します。




Kさんの今が

幸せでありますようにと祈ります🙏