母が救急車で運ばれた日の少し前、実は脳梗塞の前兆がありました。
車での一泊旅行から帰ってきた時からどうも体がだるく食欲もないと母はずっと横になっていました。
母親本人も父も旅疲れが出たのだろうと思い混んでいました。
そして数分ほど痺れを感じたそうですが、すぐに収まったため気にせずそのままずっと横になっていました。
そう…この時虚血性発作が起きていたのです。
この時すぐに救急車を呼んでいれば母は重症化せずに済んだかもしれません。
もう後の祭りですが…
当時私は既に結婚して別の所に住んでいたので電話で身体がしんどいとは聞いていたのですが、何だか嫌な予感を感じ駆けつけたその日の午後救急車を呼ぶことになりました。
今でもその時のことを思うと全身が震えます。
まだ父は現役で働いている為日中は母1人です。
あの時私が行っていなければ母はそのまま倒れていたかもしれないと…。
もちろん結果的にはもう少し早ければ使える薬があったようですが、最悪の状況だけは危機一髪防げました。
けれど命は守れたけれど、半身の痺れ麻痺の後遺症と視覚欠損という障害を負うという代償は母にとってはかなり辛かったようです。
そりゃそうですよね…ついこの間までの当たり前が全てなくなってしまったのですから。
特に母にとって目が見えないこと…これはかなりキツかった。
自分が今何を食べているのかもイマイチよくわからないし、勝手知ったる自分の家でさえまるで別の家に感じる…
実際の見え方はまるでボヤけた双眼鏡で見ているような感じだそうで、全体を見渡すことができずパッと何かを見つけるということができず左右上下を見回して目を凝らしてやっと見つけることができるというとてももどかしい見え方のようです。
こんな状態で生きていたくない…死んだ方が良かった…もっともっと私に色々してあげたかったのに親としてしてあげられないのが何よりも辛いと何度も涙していて、私もほぼ毎日一緒に泣いていました。
そして私はもう何もしてくれなくていいよ。もう今まで十分すぎる位してもらったよ。生きていてくれるだけでいいんだ。と何度も何度も伝えました。
でも本当にお母さんがただ生きていてくれるだけでいいんです。
ご飯を作ることはできなくても、私の悩み相談に乗ってくれる。
電車に乗って一緒にランチや買い物に行けなくても、車を使えば近場のイオンやご飯屋さんへ行くことならできる。
遠出の旅行は無理でも、車で行く近場の旅行なら行ける。
できることは少なくなっても全く何もできなくなったわけじゃないし、お母さんがいる安心感は自分の精神的支柱なんだと事あるごとに伝えてきた結果…
母は生きていてもいいんだと段々と思ってくれるようになってくれたように思います。
(今は私に娘ができたので、その孫が生きる希望にもなっています)
その間何度となく母に死なないでと涙ながらにお願いしましたが…
発症して3年、今ももっと見えていたらいいのにと嘆いていますが、この目で生きていくしかないとしぶしぶ諦めたようです。(たまにふと涙することはあるみたいですが…)
車での一泊旅行から帰ってきた時からどうも体がだるく食欲もないと母はずっと横になっていました。
母親本人も父も旅疲れが出たのだろうと思い混んでいました。
そして数分ほど痺れを感じたそうですが、すぐに収まったため気にせずそのままずっと横になっていました。
そう…この時虚血性発作が起きていたのです。
この時すぐに救急車を呼んでいれば母は重症化せずに済んだかもしれません。
もう後の祭りですが…
当時私は既に結婚して別の所に住んでいたので電話で身体がしんどいとは聞いていたのですが、何だか嫌な予感を感じ駆けつけたその日の午後救急車を呼ぶことになりました。
今でもその時のことを思うと全身が震えます。
まだ父は現役で働いている為日中は母1人です。
あの時私が行っていなければ母はそのまま倒れていたかもしれないと…。
もちろん結果的にはもう少し早ければ使える薬があったようですが、最悪の状況だけは危機一髪防げました。
けれど命は守れたけれど、半身の痺れ麻痺の後遺症と視覚欠損という障害を負うという代償は母にとってはかなり辛かったようです。
そりゃそうですよね…ついこの間までの当たり前が全てなくなってしまったのですから。
特に母にとって目が見えないこと…これはかなりキツかった。
自分が今何を食べているのかもイマイチよくわからないし、勝手知ったる自分の家でさえまるで別の家に感じる…
実際の見え方はまるでボヤけた双眼鏡で見ているような感じだそうで、全体を見渡すことができずパッと何かを見つけるということができず左右上下を見回して目を凝らしてやっと見つけることができるというとてももどかしい見え方のようです。
こんな状態で生きていたくない…死んだ方が良かった…もっともっと私に色々してあげたかったのに親としてしてあげられないのが何よりも辛いと何度も涙していて、私もほぼ毎日一緒に泣いていました。
そして私はもう何もしてくれなくていいよ。もう今まで十分すぎる位してもらったよ。生きていてくれるだけでいいんだ。と何度も何度も伝えました。
でも本当にお母さんがただ生きていてくれるだけでいいんです。
ご飯を作ることはできなくても、私の悩み相談に乗ってくれる。
電車に乗って一緒にランチや買い物に行けなくても、車を使えば近場のイオンやご飯屋さんへ行くことならできる。
遠出の旅行は無理でも、車で行く近場の旅行なら行ける。
できることは少なくなっても全く何もできなくなったわけじゃないし、お母さんがいる安心感は自分の精神的支柱なんだと事あるごとに伝えてきた結果…
母は生きていてもいいんだと段々と思ってくれるようになってくれたように思います。
(今は私に娘ができたので、その孫が生きる希望にもなっています)
その間何度となく母に死なないでと涙ながらにお願いしましたが…
発症して3年、今ももっと見えていたらいいのにと嘆いていますが、この目で生きていくしかないとしぶしぶ諦めたようです。(たまにふと涙することはあるみたいですが…)