たんぽぽと柴。




最近、無能唱元さんのこの本を読んでまして、
結構、興味深かった部分を少しだけ。

廃盤になっているので、中古本は、定価の
3倍近くになっているようです。





おにぎおにぎおにぎおにぎおにぎおにぎおにぎおにぎおにぎおにぎおにぎおにぎおにぎおにぎ

人生における問題について、
「人生の答えは、いつも私の中にある」の著者の
アラン•コーエンは、こう述べています。






「問題などは実は存在していないのだ。
あなたは自己改善に囚われている故に、
問題を造っている。


自己を改善するのではなく、
自己を発見するのだ。


神が創造したもの、それがあなたの源
(みなもと)であり、それは、すでに
完全なるものである。


あなたは、その自己を発見すれば
いいのだ。


自己改善者は完全を求めて、
永遠にもがく。


それは決して得られることは無い。


自己発見は、あなたがすでに完全である
という前提に立ち、あなたの目的は


本当の自分をよく知り、
表現するところにある」


そして、驚くべき結論は、
「私の抱える問題はたった一つである。
それは『自分が神から引き離され、
互いに別の存在』と思っていることだ」


この自己発見がなされた時、
幾つもの問題は、太陽を浴びた
朝露のように、光の中に溶けて
行ってしまうでしょう。


そしてまた、アラン•コーエンは、

「望むもの、あるいは少なくとも、
その種子がすでに自分の中に
あると思いなさい。


それを確信すれば、宇宙はあなたの
夢を叶えてくれるだろう。」と。


おにぎおにぎおにぎおにぎおにぎおにぎおにぎおにぎおにぎおにぎおにぎおにぎおにぎおにぎ


自己が完全であると言う前提に立ち、
自分を発見していくと言うところに、
人生の答えがあるのだなぁと、
改めて気づかせて頂きました。


自分に答えがあることに気づかず、
いろんなセミナーに出て、自分には、
アレがない、これがないからと外に答えを
探し続けていくことは逆に答えが


見つからないまま、遠く離れたところへ
行ってしまい、セミナージプシーに
なりかねないとも思いました。
(いろんな方にあって刺激を頂くのは
良いことだとは思います。)



そんな中、本日、まなさんのブログを見てて、
なるほどびっくりハッと思いました。



抜粋すると、

おにぎおにぎおにぎおにぎおにぎおにぎおにぎおにぎおにぎおにぎおにぎおにぎおにぎおにぎ

どうすればできるか?という考えは、
ない前提で考えることで、
「ない」という
不足のエネルギーを発しているということ。


そこで、
「できていることを探す」


どんな小さなことでも、
まずは1つ見つけてみる。


そして、
どうすれば『もっと』できるか?と
考える。


このどうすれば『もっと』できるか?と
考えることは、
ある前提でものを考えることであり、


このときの前提は
“(少しでも)できている”
になっているということ。


さらに、『もっと』は、
「あるものをさらに増やす」という意識。


発しているのは
「ある」のエネルギーということです。

おにぎおにぎおにぎおにぎおにぎおにぎおにぎおにぎおにぎおにぎおにぎおにぎおにぎおにぎ


元々、自己は完全であるという前提で考え、
その力は、言葉ひとつのとらえ方でも、
自分自身を生かしも殺しもする。



そう考えると、ふだんから自分を
活かす言葉は『もっと』使い続けて
いかねばと思いました。



あっ、そうそう、
そこの殿方のあなた。


女性と話すときは、
今日『は』キレイだね。


今日『も』キレイだね。


の違いがわかって使ってますか?




また、
今日のご飯『は』美味しいね。


今日のご飯『も』美味しいね。

の違いがわかって使ってますか?



どうなるかは、お試し下さい。
あくまでも自己責任で爆笑キラキラ








なんてねてへぺろ








ではでは、また明日口笛